前回の続き
 

優婆塞優婆夷(いじめられっ子)のあなたへ


今回は或遭王難苦の第2回目です。
なぜ2回にしたかと言うと、この私にとって、重要な節であるということもありますが、このことを二つの面で考えてみたいからです。

もう少し後の節になると、お釈迦様はこう言われます

「観世音菩薩は真観と、清浄観、広大智慧観、悲観及び慈観において全きものです。」

広大智慧観、これこそが偏った正義にとらわれない、中道において物を観る能力とされます。中道は政治でよく使われる言葉ですが、仏教用語なのです。

この節は、王様の悪政による難を受け、処刑されそうになるが、念彼観音力で切り抜けた!と読める節ですが、ここでは逆の観方をしてみましょう。

それはつまり王様になって観るのです。 王様、私にとっては王様、あなたにとっては主体的にあなたをいじめる人を指します。

王様は、何の苦もなく王様ですか?

宮殿に住み、いい車に乗り、誰からも慕われ、最高の医療が受けられ、好きな暮らしを出来そうです。

あなたをイジメる人も、人を避けて歩く必要はなく、学校を堂々と闊歩し、冗談を言えば皆、笑ってくれます。恋人も、もういるのかも知れません。

私や、あなたとは、正反対の、対極の暮らしっぷりです。ところが、よく考えてみると、王様は苦を背負って生きているとしか思えません。

今までにどれだけの革命が起き、王様が処刑されてきたでしょうか?或は、王様とは呼ばれないまでも、王様のように振る舞ってきた者たちです。

これを独裁者と呼びます。独裁者は、恐怖で民衆を押さえつけ、挙句の果てに、その民衆の手によって処刑されます。

そして、独裁者だけではなく、ただ王様だと言うだけで、権力者だと言うだけで、処刑された人もいます。王様であるが故に、民衆の苦しみを招く象徴として処刑されるのです。

我らがイジっ子には、このようなことはありませんが、しかし、王様も彼らも、共通して「いつか、そこから転げ落ちる」「いつか誰かに裏切られる」という不安を持って生きています。

これこそが、王難です。王であるが故の苦悩なのです。そして、王の座を得たからには、或は、王の子に生まれ、王を継いだからには、一生この苦悩と共に生きていかなくてはなりません。

選択肢は、あまりありません。戦略的に人気を得て民衆のご機嫌取りをするか、逆に恐怖で民衆を押さえつけるしかありません。(寝技が得意な国もあります。)

王様になったと考えたら、結局何もいいことはありません。民衆ほど彼らにとって、不安で恐ろしいものはない。また、逆にあまり人気取りで甘い顔をすると、所謂「嘗められる」ということになります。

ほどほどの王様と民衆の関係、日本は、何故か天皇制において、これを実践してきました。だから、天皇陛下は世界で最も歴史の古い王家なのです。

天皇は、神道を司り、仏教を敬い、仏法僧に帰依し、そして自ら直接政治をとることをせず、象徴として、質素に毎日勤められ、敗戦にあっても、滅びることなく、今日まで続いてきました。王難とは無縁のお方でしょう。嫌なところを探しても探し出せない。

しかし、このITだグローバリゼーションなどと言う社会にあって、王制とは古い体制であり、ただ単に戦略的に維持できるものではない。これを維持するのは並大抵ではないのです。一つでもその綻びを見せれば、転がるのは早いのです。先にそれが起こったか、後で起こったかの違いだけです。

王難、それはつまり、王様において滅びの苦悩を指していると私は思います。ただ、そんな現実の指摘も、その国においては不敬罪になりますので気をつけましょう。

かつて、切れ味の鋭い刀で、敵を平らげ、国を統一した王様。しかし、その刀も今、使い道がなく、刃がボロボロと錆びています。

これ以上書くと、私は国際的な情報機関に監視されているので具体的には書きませんが、大事なことは広大智慧観で見ることです。

いじめっ子は、あなたをイジメて幸せなわけではない。何かの不安と常に戦っているのです。そしてあなたが念彼観音力を唱えれば、その苦しみの姿を露にすることでしょう。その拳は、その瞳の奥は、傷だらけなのです。

私たちは、怒りや、喜び、或は激しい愛情、憎しみ、嫉妬、それらに囚われず、仏教を信じ、広大智慧観を持って、イジメを克服していきましょう。

 

声聞バージョン


或生王難苦 煩悩迄寿終 念彼観音力 広大智慧観
わくしょーおうなんくー  ぼんのーきつじゅしゅう
ねんぴーかんのんりき  こうだいちーえーがん

王様に生まれることの苦悩は、死ぬまで付きまといます。
が、ねんぴーかんのんりきを唱える事によって、偏った正義にとらわれない、
中道において物を観る能力を、王も民も共有し、共存することが出来るでしょう。
寝技で得た安定は永く持ちません。

 

合掌

 

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