2023/12/31 大晦日

お早う御座います。

日曜日は法句経、

ダンマパの写経です。

全部で26章ありますので、

一章一章写経し、

と言ってもiPadにインプットし、

①写経 投稿一周目

②自分の極私的現実に照らし合わせ懺悔する。

投稿ニ周目以降は理解納得するまで考え、

次の章へ進みます。

を繰り返します。

どうかお付き合いください。

 

「法句経(ほっくぎょう)、ダンマパ(:Dhammapada)は、仏典の一つで、仏教の教えを短い詩節の形(アフォリズムで伝えた、韻文のみからなる経典である。「ダンマパダ」とは、ーリ語で「真理: dhamma)の言葉(: pada)」という意味であり、伝統的漢訳である「法句」とも意味的に符合する[1]。」Wikipedia

 

朗読 ブッダの真理の言葉 

第5章 「愚かな人」 解説編 「孤独」

 

隣人

 

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旅に出て、

もしも自分よりも優れた者か、又は、

自分に等しい者に出会わなかったら、

むしろ、きっぱりと1人で行け

愚かな者を道添えにしてはならぬ

 

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僕は昔から肝(気)の弱い男で、

弱く、靡きやすく、

人にお人好しと呼ばれ、

目の前で罵られても、

何も言えない男であった。

むしろ、罵られると大いに譲歩し、

母からお人好しと呼ばれた。

子供の頃からそうであったので、

大学生、社会人になって、

その反動で他人を罵る様になった。

そしてその結果不敬罪になり、

今は逆に仏教に帰依し、

他人を怒鳴らないと言う、

誓いを立てた。

 

男は皆嫌いである。

僕には鼾と言う弱味があり、

その分施設の隣人に弱味があった。

それを良い事に彼は

僕の悪口を病気で寝ている僕の目前で、

大声で叫び僕を侮辱した。

その病気の間、毎日である。

彼をこの病院の先輩として立て、

喋る事に障害のある彼を、

障害者の同胞としてリスペクトしていたが、

最早無理に自分に嘘をつくのは、

これで終わりだ。

施設の皆は僕等が仲良しだと思っている。

しかし僕はその放逸の姿が嫌いだ。

考えてみれば隣人に諦めの気持ちが無ければ、

こんな不敬罪の男と一緒にいる事にすら、

怒りを覚えるべきだろう。

 

Tạm biệt.

暫別=さよなら

タム ビエト

 

 

ネポチズム

 

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私には子供がある

私には財があると思って

愚かな者は悩む

しかし、既に自己が自分の物ではない

まして、どうして子が自分の者であろうか?

そして、財が自分の物であろうか?

 

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お金はこうして死にかけてみると、

つくづく人間の前頭葉が生んだ、

想像の賜物であると思う。

それが悪いと言っているのでは無い。

だが、お金ありきの人間はあり得ない。

人間が進化したなら、

お金の次を考えるべきだ。

お金が知恵の終点では無い筈だ。

 

この仏様の一節を読み更に痛感する。

政治家は、政治はお金がかかると言い、

ケタだけ大きい、

差し引きの少ないお金に執心する。

その利益が如何に増えるかに執心する。

あるいは、借金をする。

そしてその身分に応じた不正を働き、

運が良ければ死後に不正が発覚する。

それだけの事。

決してお墓に前頭葉の想像物を、

持って行く事は出来ない。

しかし子供は生きていく。

これは消える事は無く、

そしてその汚れた苗字に執着する。

 

 

不敬罪

 

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もしもある行為をした後に、

それを後悔して、

顔に涙を流して泣きながら、

その報いを受けるならば

その行為をした事は良くない

 

もしもある行為をした後に、

それを後悔しないで、

嬉しく喜んでその報いを受けるならば、

その行為をした事は良い

 

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では僕の不敬罪はなんなのであろう。

僕は結局のところ何をしたのだろう?

何故誰も教えてくれないのだろうか?

「あれかな」と思う事はある。

でもそれは後悔するほど、

記憶が詳細ではない。

これはいつか仏様が、

教えてくれることだろう。

不敬罪が道理として正しいのか、

不敬罪が道理として正しく無いのか?

幾超億の鉢を積んでも、

許される特権なのか…を。

 

 

タウンハウスのATM

 

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愚かな者は、悪いことを行なっても、

その報いの現れ無い間は、

それを蜜のように思いなす

しかしその罪の報いの現れた時には、

苦悩を受ける

 

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10年程前、

僕は病気で日本に帰国した、

友人でありお客さんから、

ATMを預かり、

奥さんに渡す様に言われた。

しかし僕は渡さずそれを着服し、

友人は間も無く京都の病院で亡くなった。

僕は彼を友人と言いながら、

誰よりも彼の看病をしながら、

内心彼を憎んでいた。

でも、彼の上司や部下達は、

僕の彼に対する無償の奉仕を褒め称え、

以降、沢山の仕事をくれた。

僕は彼のお通夜で、

人の死体を初めて見、

彼の娘と号泣した。

 

彼が亡くなった後、

僕は大きな4階建のタウンハウスに引っ越し、

若い女性と放逸に暮らした。

ある日あのタウンハウスの1番広い部屋で、

彼女が一階で家事をする音を聞きながら、

僕はほくそ笑んだ。

このくらいの距離感が良いのだ。

このくらいの距離感が1番快適なのだ。

僕は誰よりも幸運な人生を、

享受しているものとばかり思っていた。

 

 

右の麻痺

 

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悪事をしても、

その業、カルマは絞りたての牛乳のように、

直ぐに固まる事は無い

徐々に固まって熟する

その業は、灰に覆われた火の様に、

徐々に燃えて悩ましながら、

愚か者につきまとう

 

愚かな者に思いが生じても、

終に彼には不利な事になってしまう

その思いは彼の幸せを滅ぼし、

彼の頭を打ち砕く

 

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そうして今僕は、

🧠の半分に出血を生じ、

体の左半分が麻痺し、

この施設から出る事が出来ない。

僕は倒れた時思った。

もう自分は死ぬしか無いのではないか?

 

でも仏様は僕に僕を見直す為、

命をくれた。

生きることをくれた。

生きるからには、

正しく生きよう。

自分を騙して、

生きるのは辞めよう、

と思った。

行くべき道は決まっている。

受け入れてくれるだろうか?

 

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一つは利得に達する道であり、

他の一つは安らぎに至る道である

ブッダの弟子である修行僧等は、

この断りを知って栄誉を喜ぶな

孤独の境地に励め

 

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合掌

 

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