宗教とエイズ
まず、ウチの最初の家内がaidsになり、僕は今まで何に頼らなくてもいいと思っていた人生が180度転換したと言っていい。不治の病を家内が患って、いつ医学が進歩してその苦しみから解放されるかわからない。しかも自分もなっているかも知れないから極めて厄介だ。たったひとつのポイント、何かあればそのポイントに戻り何かをすることによって、悩みの無い自分に解放して貰わなくてはいけない。それが僕にとっての宗教と言うわけだ。
なるほど、大人になると何故、宗教に縋る人がいるのか!私は納得がいった。僕の子供の頃の宗教の知識と言えば、一休さんである。頓智とやらで人々の悩みを救っていくわけだが、これが宗教とは子供心にも思えない。父親が時々毛嫌いして怒っているあれではないか?流石に大学に入ると、沢山の新興宗教が、アパートのドアを叩くようになったが、既にその頃の僕は目付きも悪くなり、誰にとっても近づき難い雰囲気であったようで、女性にモテないのみならず、新興宗教にもモテなかった。良かった。
創価学会 折伏 >日蓮
幸福の科学 >大川功 やや仏教
統一協会 > キリスト教
オウム
真理教 > 仏教
この頃に、創価学会や(大学が近所だった。)新興宗教は色々な形で人々の不安を煽り、特に多摩市近辺の学生は下宿学生が多かったので極めて危険な状況だったが、そこに染まらなかったのは、奇跡としか思えない。だが、その頃で出会った先輩Fに外国に連れて行かれ、無責任に放り出されて今があるのだから、若い頃に会う人は気をつけるべきだ。Fの話はまた別の機会にするが、自分で自分の身は守らなければならないと言う事であろう。
でも創価学会にはビックリだ。宗教が政治に関わり、今や面等向かって批判の出来ない団体になってしまった。安倍、小泉、麻生を押さえつけてしまった。まあ政治の事もFもどうでもいいが、みんな自分の利益の為に生きているのであり、如何に綺麗に分からない様に、文化的にやるかと言うことだと思う。オウムの様にやり過ぎは良くないが、人を改宗するという点において皆やってる事は大きく違わ無いのではと思う。
話は戻るが、そんな日本を捨て、某国にいた私は、仏教の歴史も大乗も上座部も知らず、ただ仏教としてこの国の仏様を家に供え、拝んだのである。僕はこの流れが気に入っている。結局、最初の家内がaidsかどうか分からないが、そのお陰で宗教に自ら帰依した。これは素晴らしい事だ。Fを信じ無ければ、更に良かったが。
この後、僕は仏様を離れたことが無い。
この様な酷い目にあっても、
自分で死ぬ事も出来なかったのも、
全て仏様のお陰であり、
この信仰は私自身の明確な意志でやっている。
しかも、こうして病院にいても、
人に隠さずお祈りが出来る。
本当に幸せだ。
今の若者は、宗教に走るよりスマホに走るそうである。これはこれで有りじゃないかなとは思う。ただ、これを利用して利益誘導する者も出てくる?或いはもう出ているかもなので、気をつけてもらいたい。
次回は、では私は宗教者として何を裁かれるのかを検証する。




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トマト🍅✋右半身麻痺ブログ🤚
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「今日は何の日。」
「アメトピ」
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「今日は何の日。」「アメトピ」
中位の投稿。短歌、詩、俳句もあり。
③は基本的に、下の内容でメリハリをつけます。
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月曜日🥗過去の投稿を手直しする日
火曜日🎼新たな試み
水曜日💊 病院日誌
木曜日🌞 俳句、川柳、詩。
金曜日👨👩👧👧愛
土曜日👺欲望
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写真は半分くらい自分で撮ったものです。
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