自分の機能

 

「ボスの日とはアメリカ合衆国で10月16日前後に行われている行事で、上司が1年を通して行ってきた行動が親切で適正なものであったことを感謝する日である。この日には、上司に手紙や贈り物をする風習がある。この日は賛否両論が多く、一部は絶対的な権力を持つ上司には必ず従わないといけない。」Google

 

自分の母に、今日謝った。

ここのところ、お母さんには厳しい事を言ってるかもしれない。でもそれは最近家族の中で「呆けている」という風評被害に晒されているお母さんがこれ以上の「呆け」の誹りを受けないように、嫌かもしれないけれど、少しキツく、要求基準も高めに言ってるだけだから、

このまま、

年寄りだから、

しょうがないから、

80過ぎたから、

みんなが呆けたと悪口言うから、

言われるのが嫌だったら、流されて行かない様に、という願いを伝えた。

母は最近、僕以外の電話を取らないらしい。

歳をとればとるほど、人は人の言う事を聞かなくなる。

これを否定する人はいないと思う。

それは歳をとればとるほど、周りが言う事を聞いてくれるか、諦めているからである。

 

去年頭の病気をやって、病院でも、今の施設でも頻繁に言われた(多分あなたも言われた!)事がある。足を、手を、指を動かさないと退化して動かなくなる…と。痛くても動かさなくてはいけない。それは、脳の働きにも言える事だと。それが為にリハビリという活動があって、国はこれに補助金を出している。…と。肉体的にも精神的にも、痛い事にである。でも実際に精神的な痛みをリハビリとして消化しようとするとどこか変だ。バナナの本数や鯉のぼりの🎏色、鋏の本数、そう言う精神的ではなく、その人の人生の根本に触れる精神的なリハビリは、何故しないのか?そんなの、あるのか?

歳を取った人に痛い事は言いにくい。

年寄りは粗末に扱うな、とも言う。

多分それが限界の人が多い筈だ。

大体、そんな、精神的な年寄りのリハビリを、誰も見たくないだろう。

 

アメリカの「ボスの日」は、全くこの逆の行事だ。

自分の組織における機能はもっと細分化されて評価する必要がある

自分の脳みそにおける機能はもっと細分化されて評価する必要がある。

怒る能力、

謝る能力、

嫌なことを積極的にやる能力、

嫌な事から背を向ける能力、

人の中に入れない能力、

狭いところにいる事が出来ない能力、

いくらでもあるこうした能力をコミュニケーション能力と要約せずに本人が向き合う。そして不足している場合にどうリハビリをすべきか?を示して貰う。それでこそ初めて、精神的にも、物理的と同レベルのリハビリが出来たと言えないか?「人の嫌がる事をやれない」は道徳や宗教のレベルではなく、リハビリで単純化してやる。

これが、呆けとの闘いではないか?

 

 

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