ユダヤ教「ヘブライ語聖書」における愛を語る立場①

(愛を語る第5歩)

不定期投稿

 

愛の相当語として、

ヘブライ語の「אהב」(エハヴ)(エハヴァ)(エハヴァー)が使われている。」Wiki

主が「愛した」と言う核になる言葉か?

 

このヘブライ語の文字を見ると、何故か不思議な感傷を覚える。この文字が、某国の文字と似ていて、尚且つ文化の断絶を意図的にしているみたいに見えるからだが、その件はいつか別のページで。

ヘブライ語、英語、キリスト教、ユダヤ教が如何に言葉で有機的に絡み合っているかを感じる。

 

「אהב」(エハヴ)ともうひとつ、

「חסד」(ヘセド)は慈悲を意味する。

「חסד」(ヘセド)は旧約聖書では次の英語が当てられる。

「lovingkindness」

「kindness」

「kindly」

「mercy」

「in goodness」

 

更にこの「חסד」(ヘセド)は、「えこひいき」「忠誠心」「恥」を意味する。旧約聖書では次の英語が当てられる。

「favor」

「Loyalty」※

「disgrace」

でもこの言葉には、「慰み」の意味もあると言う。

 

馬鹿なので整理するとヘブライ語で「愛」とは

①「אהב」(エハヴ)

②「חסד」(ヘセド)

となり、特に②については、

 

「慈悲」

「えこひいき」

「忠誠心」

「恥」

「慰み」

 

とゆう多様な言葉を含有する。

これが、全て愛に繋がるとは驚きだが、

ある面、愛も憎しみも人間の行動の裏返しであるから、

こうゆう表現もあるかもしれない。

 

「神の愛はしばしば歴史記述を通して具体的に語られる。概要としては、愛を受けるに相応しくない者に、神の自由な一方的な選択によって愛が与えられ、その者が、たとい神から離れようとも、神は見捨てない、という内容である[7]。」Wiki

 

未だ、僕は不明の言葉の暗黒を彷徨っている。この5つの言葉が何か共通点を持っている筈だと考えてしまう。

 

どうゆう文法かは知らないが、以下に分類される所謂、「愛」とは、אהב (上述のエハブ)を中心に展開する。文法的に間違っているかも知れないが、分かり易く言葉をスペースで分類した。

 

①「מ אהב ת」は、主の「愛」の意味。

②「מ אהב ת」はまた、女の「愛」も意味する。

③「אהב תך」は、親友の「愛」を意味する。

④「אהב ת」は、息子に対するアブラハムの「愛」。

⑤「ו אהב ת」は、主を「愛すべし」の意味。

⑥「ו אהב ת」はまた、隣人を主である私のように「愛すべし」。

⑦「ל אהב י」は、主から慈悲を与えられる「愛人」の意味。

 

①から⑦の対象を如何に愛するかが②「חסד」(ヘセド)と言う事になる。

 

何か物足りない思い。事実だけ目の前に置かれ、後は自分で考えろと言われた気分だ。

 

もう一回やります。

 

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