ボールペンゲージ

 

子供の頃、鉄道が好きだった。

友達の家に行くと、山があり、踏み切りがあり、駅があり、そこをNゲージのブルートレインが走っていた。駅のそばに列車の車庫があり、新幹線🚅山手線などが待機していた。「俺にも遊ばしてくれよ」(何故か卑屈になり)とも言い難い、高価なラインナップ。このウチの父との絶対的な経済力の違いに、ただ大人しく見ているしか無い。

更に友は、僕等をお父さんの部屋へ。

そこには、先程の電車よりも更に大きな何とかゲージがあり飾ってある。

思えばあれは、ドイツの🇩🇪機関車だった。

確か、彼のお父さんは、銀行の頭取だったと記憶している。

いつか、お金持ちになって、このお父さんの機関車を、家の1階から3階まで走らせる。或いは、日本庭園を走らせる。

と、可憐な思いを馳せたのであった。

 

さしあたり親は公務員であり、家は団地なので、その夢はかなり遠い。だから、キャンパスノートを買って来て、そこに線を引いた。この線を鉄道と見立て、複線なら二本、複々線なら四本、自分の生まれた故郷の西武池袋から手始めに、鉄道🚃を引いた。地図で何KMか見ながら、私の鉄道は、池袋から、1ページ、1ページ、西武秩父に向かって、進んで🚃った。こんなに貧しい私の鉄道は、いつのまにか、友人の模型より遥かに、スケールの大きな規模で、西武秩父まで開通した。その鉄のボールペンの先端で深くえぐられた鉄床を、やはりボールペンの車輪がなぞり西武秩父まで走って行く。何度も何度も、電車が往復する内に、鉄道は黒光りし、手についたボールペンのインクが、手にベタつく。西武線は、多くの支線があるので、新宿線、多摩川線、豊島園線と事業を拡大、最後には、空想の中で、山梨県に行き、名古屋へ。

 

この事を私は、頭取の息子にも内緒にし、他の友達にも内緒にした。

ただ一人、自分だけの秘密で、親の見ている前でも絶対遊ばなかった。

自分の企画力に満足し、人の目に触れ垢がつく事を恐れた。

ただ、自分がそれに飽きる日が来るとは、予想外だった。

ノートは、鍵のついた引き出しから、窓際に放置され、

何本ものボールペンをゴミ箱に捨てた。

あとで父がこれを見つけ、

また、勉強もしないで…と怒った。

彼はこのノートが📓どのように遊ばれたかも追求せず、

この異常なノートの線の意味すら考えなかった。

どうしても残念なのは、

こんなに慌てて描かずに、

線路の脇の🛤🌼💐や民家、にも気を配っておくべきだった。

線路と駅と川くらいしか無いので、

初めるに早く、覚めるに早かった。

 

でも、あの黒光りするインクの鉄道は、

ボールペン✒️持つ度に

何度も思い出し、

思い出しては、

その思い掛けないオリジナリティに、

ドキドキするんだ。

 

いつも、

何かにつけて、

こうなんだ。

 

合掌

 

 

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