ハンコ
あたり前だが、
日本にいなかった25年間は、ハンコなど使う必要が無かった。
全てサインだった。
自分のは、汚い、下手くそなサインだったが、
これが効力を持っているのが、不思議だった。
途中から、管理職になったので、
会社の銀行のサインなど、大変な緊張感でサインしていたが、
従業員の給料の受け取り等のサインのようにサインする量が、
増えていくに連れて、その緊張感は薄れてきた。
サインでも印鑑でも一緒だろう。
その本人の緊張感の堅持、それはその人次第であろう。
自分は、特に弱いのだろう。
そうゆうことへの、畏怖が無い。
畏怖した時には、既に取り返しのつかない事になっている。
30年位前の日本は、ハンコが流行って、
うちの父親でさえ、高い象牙のハンコを買っていた。
大事な事ほど、日本人は信用という有耶無耶な言葉を使って、
誤魔化す傾向があった。
象牙のハンコで、どこまでその性格が治るのか?
そう思っていたら、
『愛』という象牙のハンコが出来た。
『信用』という象牙のハンコが出来た。
『貞操』という象牙のハンコが出来た。
『命』という象牙のハンコが出来た。
『公約』という象牙のハンコが出来た。
『正社員』という象牙のハンコが出来た。
『郵便局』という象牙のハンコが出来た。
言葉だけで信用出来ないものは全て象牙のハンコが出来た。
あのハンコは今、何処へ行ったのだろう。
合掌
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普段着はズボン派?スカート派?
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