お盆

「その日じゃない日にその日を語る。」

 

今日?から8月16日までお盆です。

 

「日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る一連の行事。日本古来の祖霊信仰と仏教が融合した行事である。 かつては太陰暦の7月15日を中心とした期間に行われた。」Wiki

 

これから私が書く事は、えー!そんな事も知らんのか?

とか、知らんかったわ〜。あいつと一緒にされてまう。

など(関西弁で)様々であるが、

そもそも恥をどこかに置いて来ているので、お任せ下さい。

 

お盆は、日本だけでなくこの時期にいくつかの国で営まれる。

中国 、ベトナム、韓国、カンボジア、ラオス、スリランカ、タイ

も同じ時期に似た事をやるが、これは道教から来ていて、道教と、

仏教が影響し合ってこうなっている、

或いは国によっては日本の様に仏教を信仰しているからである。

仏教といっても日本、韓国、中国、ヴェトナムは、大乗仏教で、

それ以外は、上座部仏教である。

盂蘭盆教と言う、仏教のお教に由来がある。

 

「8月1日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)と言い、地獄の釜の蓋が開く日であり、一般的に1日からお盆である。」Wiki

 

さあ、いよいよご先祖様が帰って来ます。

 

「七夕、棚幡

そもそも七夕は「棚幡」(たなばた)とも書き、故人を迎える精霊とその棚に安置する(ばん)を拵える日であった。」

 

「幡(ばん/はた・旛)とは、布などを材料として高く掲げて目印装飾とした道具のことで仏教祭祀の場で用いられた。

サンスクリット語のパターカー (patākā) という言葉に由来し、仏や菩薩を荘厳・供養するために用いられる。また、『維摩経』によれば降魔の象徴とされ、幡を立てることで福徳を得て長寿や極楽往生につながるとされた」Wiki

 

維摩教は重要。維摩経とか、盂蘭盆教とか、聖徳太子の時代から、

日本に持ち込まれ、日本人の🇯🇵精神生活に影響を与えた。

 

「迎え火

13日夕刻の野火を迎え火(むかえび)と呼ぶ。以後、精霊棚の故人へ色々なお供え物をする。 地方によっては、「留守参り」をするところもある。留守参りとは、故人がいない墓に行って掃除などをすることをいう。御招霊など大がかりな迎え火も行われる。」Wiki

 

「送り火

16日の野火を送り火(おくりび)と呼ぶ。京都の五山送り火が有名である。 15日に送り火を行うところも多い(奈良高円山大文字など)。」Wiki

 

故人を送る期間であるが、16日から24日までであり、

お迎え同様に墓参などをして勤める。

 

「仏教では広くとった場合、お盆は1日から24日を指す。これは、地獄の王とされる閻魔王の対あるいは化身とされるのが蔵菩薩であり、24日の地蔵菩薩の縁日までがお盆なのである。「地蔵盆」も参照。」Wiki

 

地蔵菩薩は一見お坊さん見たいな風体であるが、閻魔大王も、

地蔵菩薩の化身。6道を行ったり来たりしている仏様。

 

オンカカカビサンマエイソワカ

 

と言う地蔵菩薩の真言をとなえる。

そして8月15日、16日に盆踊りを行う。

宗教性を避けて、盆踊りと呼ばないところもあると。

出ました出ました。

そのくせ匿名のアンケートなら、宗教は仏教です。

 

「初盆・新盆

新盆の家の入口に飾られた提灯(本来は白無地)(香取市)

また、人が亡くなり49日法要が終わってから次に迎える最初のお盆を特に初盆(はつぼん、ういぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び[注釈 3]、特に厚く供養する風習がある」Wiki

 

ああ、これらの風習を子供の頃田舎に行ってやってから全くやっていない。そりゃ宗教の空洞化、宗教の匿名化が進む訳である。

 

「地方によっては「施餓鬼」(きこん または せがき)と呼ばれ、餓鬼道に陥った亡者を救ったり、餓鬼棚と呼ばれる棚を作って道ばたに倒れた人の霊を慰めたりするといった風習もこの頃に行われる。」Wiki

 

この餓鬼道に注目したい。

 

「ろくどう-りんね【六道輪廻】

「六道」は生前の行為の善悪によって、死後に行き先が決まる六つの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)。 「輪廻」は、車輪が回転してきわまりないように、霊魂は不滅で死後また生まれ変わるという考え方。」Wiki

 

我々は、この6道を輪廻しており、今は人間道である。

仏様は、天にいらっしゃるのだ。

修羅道においては、常に戦い、争いの世界に生き、

畜生道においては、例えば牛になり🐂荷車を引く。

餓鬼道においては、お腹の異常に膨らんだ餓鬼で食べ物を請い、

地獄道はご存知のとうりである。

私はこの施餓鬼がやりたい。

罪多き人生を送って来たのは間違いない。

 

私の罪が余りに大きいために、

人間道にありながら自らの善行を積んで来た人生を捨て、

或いは人間道にありながら、天道の人の様に方便が使えると、

勘違いしたかはわからない。

死んで無いのに、自らの葬式を盛大にやった知り合いが数名いる。

ある人に至ってはお世話になったと思っていたので葬式に、

本格的に参加し、何千人と言う仏教の葬式で偉い事だった。

何故、人の罪の為に、自分の葬式をやったのか分からないが、

僕の罪の為に、空葬式をしたのは明らかだ。

この人達の為に、施餓鬼をしなくてはいけない。

こんな事、誰も信じないだろうが、

厳粛なる事実だ。

仏教を信じていないんだろうか?

 

救抜焔口餓鬼陀羅尼経により、

この人達が亡くなったと言っている、その魂に祈ります。

 

今日は勉強になりました。

 

合掌

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