CMソング

 

CMソングの日は、下記の小西六のCMソングの放送が初めて行われた年であった。という訳で、Wikiを見ながら、僕が生まれる1960年代から僕が日本を離れる1990年手前を見て、あ良かったな、ベスト10がある青春時代、と行きたい。

 

1769年の歯磨き粉『漱石膏』のために平賀源内が作詞作曲。

と言いながらいきなり生まれていない日。

平賀源内って本当に凄い人なのね!

 

9月7日を「CMソングの日」としている例があるが、これは日本初の(放送における)CMソングの定説とされる『僕はアマチュアカメラマン』(作詞・作曲:三木鶏郎小西六写真工業)が初オンエアされた日(1951年)ということに基づいている。」

これも生まれていないが、このCMソングの日の由来なので一応。

小西六(コニカ)なんて未だあるの?失礼!

 

光る東芝の歌ダークダックス東芝)」

生まれる前なのに知っている。

グルグル回る東芝の看板。

 

「ライオネスコーヒーキャンディー(篠崎製菓)」

コーヒー☕️ってどんな味?こんな味だよ。

当時少なくともうちは、子供はコーヒー飲んでは、いけなかった。コーヒーの味をシムレーションするためにこの飴を貰った。

あとでコーヒーを飲み、ライオネスの方が断然上手いと思った。

 

1967年(昭和42年)4月レナウンの『イエイエ』(作曲:小林亜星)がオンエアー

自分の生まれた月にオンエアされたこの曲。自分の誕生日🎂の歌みたい。

この曲をかけながら踊っている欧米人。凄くセクシーな格好。再放送とは知らなかった。

 

「同年、『世界は二人のために』(佐良直美)が発売される」

佐良直美を僕は、女性だと思っていなかった。

男女の区別がつかない人が多かった。フィンガー5とか、ピーターとか、そう言う性別があると思っていた。

 

1974年(昭和49年)、サミー・デイヴィスJr.本人出演によるスキャットのCM(サントリーホワイト)が、カンヌ国際広告祭グランプリを受賞(日本の作品としては初受賞)」

サントリー角瓶で受賞したとてっきり思っていた。

ホワイト、飲んだ事がない。

 

「マンダム〜男の世界〜(ジェリー・ウォレスマンダム

自分の父が使っていた化粧品である。

この匂いを使っている人が近づくだけで嫌悪感が。

 

日立の樹ヒデ夕樹日立グループ)」

東芝と同じで、忘れられない。

会社に入って、慰安旅行でハワイに行き本物を見た。

 

「企業ソング」(原文ママ)が、大きく注目を集めたのは1978(昭和53年)[9]。この年、矢沢永吉の「時間よ止まれ」、堀内孝雄の「君のひとみは10000ボルト」、サーカスの「Mr.サマータイム」、山口百恵の「いい日旅立ち」」

この頃から、レコードを買ったりした。

やはり、「いい日旅立ち」だと思う。

 

代表的1970

 

最高の曲。折しも昨日は黒の日で、松崎しげるの日であった。

日本での評価は最初良くなかったという。

 

やはり、ピンクレディーと言えばUFOだ。絶頂期の焼そば。

焼そばが、只の焼そばに見えなかった。

 

化粧品のCMは出ればヒットであった。

 

飛んで飛んで、最高でした。この歌唱力に感動した。

 

当時、松山千春って何故ベスト10でないんだろうと思っていた。

顔を知らなかった。

 

日曜日の朝、名前は忘れたがベスト10の番組があって、この歌が流れると、ああ、今日は日曜日なんだなと布団に入り直したものである。

 

「異邦人、」「水色の雨、」雨の日の夕方、家に帰る西武バス。

 

1980年代

 

1990年代

 

なんかあったと思うのだが、1980年以降は洋楽も好きになったりして、他の日本国民と協調していなかったかもしれない。

そう、好きな曲、誰にもわからぬウオークマン。

それを批判する気はないが、いつのまにか、日本人はみんなで同じ曲を聴く事は、無くなったかも知れない。

ベスト10にドキドキすることもなくなった。