私は、毎日仏教のお祈りを勤行しています。(病気前)
朝夕、それぞれ2時間以上、真言を1000遍以上唱えています。
罪深き身なので、10000遍、10万遍唱えてもまだ足りません。
しかし、いつか泥水の中から顔をだし、蓮華の花に囲まれ、御仏の光明を
浴びたいと思い、一心にお祈りをしています。
蜘蛛の糸に吊って貰うには体重も、罪業も重すぎます。。

一心にお祈りするといっても、そう簡単ではありません。
お祈りの目指すところはどこにあるのだろうか?

光明真言を唱えるときに、その前段の偈で
己を虚しゅうして一心に唱え奉れば とあるがここを目指すのだろうか。
よく一心不乱というが、これだろうか?

この前勉強した浅知恵では四魔という魔が修行者を邪魔するらしいのです。
お釈迦様も沙羅双樹の木の下で修業をした時にこの四魔が現れこれを
調伏させたことで、悟りの境地を得たらしい。

四魔とは私の理解では
①五蘊魔
健康であるが故に、体が脳に伝えるあらゆる業障。
②煩悩魔
ご存知、煩悩。貪瞋痴。怒り、貪り、妬み、愚痴を思う心が業障になる。
③天魔
こんなことしていてなんになるのだという、良いことをしようとすると
やめとけ、と悪魔がささやく、あれである。
④死魔
やたらと死にたくなる。

コピペをせず、私の理解で書いているので間違っているかもしれないが、
まずは、お祈り中に襲ってくるこれらの魔について自分の場合で解説し、
それに関する調伏の方法を追求します。

続く