嘘❹虚言癖と言う日常
❶嘘つくぞと言う覚悟を持って言う、行う嘘がある。
❷あ、嘘をついてしまったと自覚なくついてしまう嘘(言う、行う)
もある。
❸騙そうとしていても、口に出さず行う嘘もある。
❹自分自信に嘘では無いと言い聞かせ、言う、行う嘘もある。
❺仏様、神様の方便だと、自分に言い聞かせ、或いは言い聞かされて言う、行う嘘もある。
❻沈黙と言う嘘もあるのではないか?
❼自分自身につく嘘もある。(もしかしたら❹に重複)
前回の嘘に関して考えると、誰も傷つく事なく、でも明らかに僕の嘘(嘘と言えば嘘なのか?)に対してアクションが行われ、今も明らかに僕の心に傷になって残っている。Y君の心の傷にもなったかも知れない。不思議だ。そこにはやはり良心と言うものがあり、それが働いているものとは思うが、僕だって別に人を傷つけるためにやったんじゃ無い。並べて見ると、
❶友人は皆僕が受験に受かると思っていた。
❷僕1人が自分の勉強の状況から、恐らく受からないだろうと思っていた。
❸実際、結果として受からず、僕は恥ずかしさから、結果を皆に伝えるのを先延ばしにした。
❹友人の1人が、突然僕に対して絶交を言い渡した。
実際に起こったのはこれだけのアクションである。後で、また考えるとしよう。
「大多数の人は、ある程度の言い訳や責任転嫁などの嘘は無意識的、日常的に行っているので、こうした行為は(道義的、モラル的にはともかくとしても)一応、学問的・精神医学的に言えば「正常」の範囲内である(学問的には、あるべき姿やモラルは脇に置いて、統計的に数が多ければ「正常」、少なければ「異常」と分類することが多いのである)。ただしそれも常識的な範囲を超えたり、統計的に見て一般的な範囲を逸脱するような程度になると、心理学・精神医学的には「虚言癖」や「作話症」などに分類されるようになる[注1]嘘は他者もしくは自分を欺くために用いられる。」Wiki
自分は、人生において、あんな不合格の仕方は初めてであった。そして、友人達みんなの失望の微笑みを見るのも辛かった。するとそこへY君のような正義の味方が現れ絶交を言い渡した。この場合、Y君が異常か、或いは以前から、兼ねてから、僕に対するアンチテーゼが彼の心に巣食っていたとは言えないか?或いは、僕のついた嘘が、Y君が努力して合格した事に対する侮辱だと考えた節もある。こうゆう純粋な友人を起こらす事が良くあり、その1つかもしれない。
「嘘をつく動機や技術、事実との関係などによって、嘘は正負、両方の効果を及ぼしうる。」
「得をしようとして数字をごまかすことを「サバを読む」と言う[4]。」Wiki
「自分の年齢について嘘を言うことは「年齢詐称」と言う。」Wiki
「財務諸表に嘘の数字を記載することは粉飾決算と言う。」Wiki
「政治資金収支報告書に嘘の数字を記載することは虚偽記載と言う。」Wiki
まあいいだろう。これらは明らかな嘘だ。私のように突然ギャラリーが現れ、絶交を言い渡して行くような複雑なケースでは無い。
「欧米の大人では、聞き手が聞いたとたんに明らかに本当ではないと判ること、つまり明らかな嘘を聞かせて、それが嘘だと互いに十分に知っていることを確認しあって楽しむことがある。一緒に笑うために、ユーモアとして嘘を話すことが多々あるのである。日本の会話では、欧米に比べると、こうした話し方は少ないようである。」Wiki
僕は小さな頃から、結構こうゆう会話が好きで、こうゆう事で怒られた事が何度かある。キリスト教の幼稚園の時、「アーメン、ソーメン、冷ソーメン」と言いどれだけ怒られたか?神様を侮辱するつもりはないのだがやってしまった。「口は災いの元とでも言おうか?」この手の行為を嘘と呼ぶかはわからない。でも、冗談で済むと考えている時点で嘘の一種ではないか?
また、こうゆうものを上手く使い良い関係を作ったとして、それが破局の元になる事も多い。また、嘘を絶対言い合わない、正直な関係というのもまた、ちょっとした行き違いで壊れる。要するに、人間関係とは非常に脆いものであり、そのあるがままの付き合いすら難しいと言う事である。そうゆう危うい人間関係に限って「本当に!」が連発される。そして、人間関係>男女関係と難易度が上がって行く。
以前は人間って80%ぐらい嘘で付き合っていない?と思っていた事もある。人間の本心とはそのくらいの割合と思っていたのだ。これは我ながら、考え抜いた数字だったが、僕の場合、実際には100%だったからびっくりした!
「嘘の中には規模の大きな集団が組織的に行うものもあり、内容次第では社会に大きな影響を与える。」Wiki
次回はこれ。
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