たぶん〇〇フェチ

 

ダンディな男とは?

 

僕の側には、随分とダンディを匂わせて、臭わせている人が多かった。特筆すべきは僕の20才上の上司だ。皆が彼をダンディであると褒め、彼も満更でも無いようだった。で?ダンディとは何だ?理解して使っていたのか?本当に彼はダンディだったのか?

 

「ダンディ(英: dandy)は、身なり・巧みな言葉づかい・余裕ある趣味といったものを特に重視しながら、あくまで無頓着を装ってそれらを追求し、自らに陶酔する男や女の精神を指す。

https://ja.wikipedia.org › wiki › ダ...

ダンディ- Wikipedia」Wiki

 

身なりは🆗である。巧みな言葉遣いは🆖だ。余裕ある趣は、努力はしていたようである。自分をさらけ出すのが嫌なので、恥をかかない様に努力する人だった。その努力を表に出さない。実体に比べ陶酔が激しく、頭の頂上は磯野波平であったがそう見せない努力は見事だった。面等向かって言わせない。成る程、志向は、ダンディである。

 

「1836年にトーマス・カーライルは次のように書いている。

ダンディは伊達男であり、ダンディの生業、はたらき、在りようは服を着ることのうちにある。ダンディにおいては感情、精神、金銭、社交という機能のいずれも、かしこく服を着こなすという目的に英雄的に奉仕している。したがって、他の人が生きるために着るのに対し、ダンディは着るために生きるのである。さてここで、殉教であり詩情でありさらに預言でもあるこの絶え間ない在り方に対して、ダンディが見返りに望むこととはなんなのか。おそらくただに、存在を認められること、といえるのだろう。あるいは生きて動いている何物かとして、いやそれよりも慎ましいかもしれない。目に入る何物か、可視光を反射するに足る物……。[12]」Wiki

 

さて、そんなに覚悟のある人であろうか?大体、見返りは浅ましく求める大阪のオッサンであったが、決して、殉教者ではない。どうも、怪しくなって来た。ボードレール先生から見ると、彼のダンディ精神は更に崩壊する。

 

「ダンディのこと。ボードレールは資産と余暇をダンディの要件としている。」Wiki

 

シャルル・ボードレールは、ダンディズム後期の「形而上学的」段階[2]にあってダンディを以下のように定義している。すなわち、ダンディとは美学を宗教にまで高め、それに則って生きる者のことであり[3]、その宗教というのは、ただダンディが存在するだけで責任ある中産階級の市民への非難となる、というものである。「ある面で、ダンディズムは精神主義およびストイシズムに近づいてい」き、「[充分な資産を持ち労働を免れた]こうした存在は[注1]、自らにとっての美の観念の洗練、趣味の上での追求、感性と思索とに生きている状態に他ならない。(中略)ダンディズムはロマン主義の1形態である。考えの足りない世上の連中が信じているらしいこととは裏腹に、ダンディズムは着る物に大はしゃぎをしてみせたり道具立てが逸品であったりすることですらない。こうしたことは、完全なダンディにとっては精神における貴族的優越の象徴以上のものではない。」Wiki

 

彼には愛人がいて、「ストイックな愛人である」と他に向けて振る舞っていた。彼女の喫茶店のバルコニーを会社に転がっている端材で、休日に社員を動員し作っていた。成る程、私がその前を通ると、ギロリと睨み、無言で口止めしたその姿はダンディであった。

確かに、隠す事もせずやっていたところを見ると、ダンディの要件として性欲と言う一項目を勘違いして覚えていた可能性がある。

確かに入った会社が4流で(私もだが)、寝技で淀屋橋に中古のビルを買う様な会社であるから、[充分な資産を持ち労働を免れた]には残念ながら当たらない。

あー無駄な時間であった…ダンディズム万歳。

いつまでもお元気で!

 

 

 

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