56 右麻痺で不自由な日々とは

 

さて、右麻痺の人がよくブログなどで発言しているのを見る。まずは、僕の様に倒れ、手術になり、リハビリを受け、復活。後遺症が残る人が多いようだ。僕の様に立つ事は出来るが歩けない。或いは喋れない。そうゆう人は、(というか倒れた人は)何年かして再発症し、そのまま亡くなったり更に重い後遺症になったりするそうである。現在55歳。あと10年生きれるだろうか?生きよう、生きて見ようじゃないか?

 

何度も反復して思うに何故、あなた方は、ここまでの復讐を僕にしなくてはいけないのか不思議でならない。(7000万+日本人の一部の皆さんは)しかも僕の場合、母の手自らで、左麻痺後2週間の放置。母よ、あなたのことを息子はわからない。何故そこまで従わねばならないのか?これだけの事をやれば、先方の狙い通り、寝たきりか死人にはなるところであったが、僅かながら、仏様にお祈りしていたが為に、奇跡的にここまで回復した。仏様には日々祈っている。あなた方は自業自得だと、自己責任だと言うのだろうが、老いた母親にまで悪業の片棒を担がせるのが自業自得だろうか?自己責任だろうか?その事で、利益を得、身分を得て、そうでないというのなら弁明にも現れない者が、何を自業自得と、自己責任と呼ぶか?

 

僕を殺したい程憎むってのは、なんだろう。どんな宗教を信じているのだろう。僕が何人人を殺し、いくらを盗み、誰の誇り傷つけたと言うのだろう。やってはいけない事と言うのはあるのだ。人間である限り。仏様を飛び越えて神様を名乗ってはいけない筈だ。僕はそれを証明するために、今回生き残ったのだと思っている。まあ見てればよかろう。仏様が見ていて下さって僕は満足だ。自分としては、歩けるまでに回復したいとは思うが、まだ日々長し。

 

右麻痺と言えば、ちょっと調べても沢山いる。病院で教えて貰ったのは長嶋茂雄であるが、あの西城秀樹もだと言う。2003年に倒れ、2018年5月に再発し、急逝心不全で亡くなった。それが、長いか、短いか分からないが15年。僕はまず10年先を目的としてみよう。

 

ここからのこのブログは、障害者としての生活の質の向上について考えてみたい。朝起きて、夜寝るまで、現在、基本的に介助者さんの手を煩わす事はなくなった。それを検証し、生活の質の向上とは何であるのか?を考えてみたい。

 

57 右麻痺で靴下🧦を脱ぐ履くと言うこと①

 

朝、最初に行うのは靴下を履く事である。履くと言う事は脱ぐもその前後にあるわけである。右麻痺の場合、当然左足は問題ない。履く事も、脱ぐ事も、足さえ動いてくれれば、履けるし、脱げる。でも右足は、曲がらないので、脱ぐ事から苦労する。遠いところにある右足に手が届かないので、左足で🦵引っ掛け脱がす。脱がすだけなら問題はないが、目標はゼロ介助だ。脱いだ靴下を、明日朝、履かなくてはならない。上手く左足の指に靴下が引っかかれば良いが、何度左足を離れ、ベッドの下に落としたかわからない。だから、脱ぐ時の右足には、写真のような80cmのマジックハンドの補佐がいる。脱いだら、靴下をポケットにしまい、明日の朝まで保持しなくてはならない。後は、やって行くうちに熟練度を上げ、以前は予備の靴下をベッドに置いていたが、今は不要だ。

 

それでは、靴下を履くのは?

それは次回。