もう終わったと言う経験は?

 

いつも上に書いてあるステッカーの無いこの文句を見ていて、何も感じ無かったが、よく考えれば、これはもし、今日のお題が全く自分の中に無くて、困った時の副題では無いかと思い、勝手にそう思う事にした。

 

もう終わったと思った事があるか考えてみた。

 

①よくこのブログでも話している、幼稚園の時の交通事故

まず、これについては、事故のことをよく覚えていない。

事故後のギブスを嵌めて寝ていたり、

病院の屋上で、シーツを干すのを手伝ったり、

手術後に初めてガーゼに水を含んで飲んだり、

退院の日の明るい陽射し…、

もう終わったと思う事は無かった様だ。

大体、子供の終わったって何だ。

未だ少しも始まっていないのに。

 

②高校に落ちた時

そこから何年も過ぎ、国立小学、中学とエスカレーターの学校で来て、高校のエスカレーターは流石に厳しく落ちた。みんなは勝手に、人の事でもあるから、僕は受かるだろうと、無責任な期待を寄せていて僕は落ちたと言えなかった。モゴモゴと嘘をついて結果をぼやかした。

嘘が発覚した時の何人かの友人の、失望と軽蔑は凄まじかった。

終わった、彼らとの友人関係はおわった。

僕は、この学校に引き続いている事が出来ない現実が、直視出来なかった。

友人と思える人々は誰1人慰めてもくれない。

 

③それから悠久の時が流れ、50を過ぎ、私の周囲の人たちが皆、私を欺き、私の子供まで私から奪った。

これについては、今はあまり話さない。

ただ、全てが茶番だったと言う事だろう。

そして、

こんな事があるのかと言う絶望と、

そんなことが出来るのかと言う驚きと、

その後どうなるのかと言う不安、

それが「もう終わったと思った事があるか」の回答であるかもしれない。

なお、終わりとはそれで終わりではない。終わったら、その後があるのだ。なによりも怖いのは、その事によって自分が携わる、終わった事の結果による、仏様の罰だ。長い苦しみだ。

 

④脳出血🧠半身麻痺

③が終わったのなら、これは何だ。

強がりでもなんでもない。この入院の8カ月は、自分にあったのはレカヴァリーだ。ひたすらに、よくなる事だ。自分を励ます言葉はいらない。馬や牛の🐄出産を見た事があるだろう。生まれてすぐ、ただひたすらに立ち上がるその姿。立ち上がらなければ死なのだ。私の頭の中に、この展開は全く無かった。そして、どこまでよくなるのだろうと言う限界すら無い。これで8カ月過ごしてきた。それから、施設に来て自分の身体は更に進歩している。

最初の2週間、私は、朦朧とうつ伏せになり、夢を見て、母の食事を食べていた。このまま、ドロリと溶ける自分をイメージし、それでも母が持ってくる食事は食べていた。2週間後、右目が見えなくなって、初めて自分はいよいよ終わりを迎えるたかと思った。そして自分で救急車を呼んだ。

ついた病院に悉く断られ、連れていかれたのは家から県内の反対側の病院だった。褥瘡という厄介な肌の状況があり、この病院でも何時間も会議をして、やっとのこと、入院になった。今聞けばこの病院は日本でも10本の指に入る病院だった。

その間、全く恐れはなかった。極めて意識はしっかりと、冷静で、他人の体を心配するかの如くであった。

細かいことは私のブログを見てほしい。

 

これから何が起こるかわからない。

ただ怖いのは、あれだけの危機の中を走り抜けた自分の慢心だ。

用心しなくてはならない。

未だ重要な事業が残っている。

それを成し遂げた時、

僕は本当に既に死んでいるのだろうか?

000000

00000