僕の仏教
この間病院の職員さんが、
「あなたも毎日よく頑張るわね」
と真言宗の勤行に朝夕励む僕を褒めてくれた。
僕は倒れる三年前からこのお祈りをし、
倒れる前は、
別にブログを持っていたぐらいだから、
色々と勉強はした。
雨宝院の和尚様にも色々と電話で訪ね、
祈祷もしてもらった。
でも一度も和尚様にはあって無いし、
お祈りの節回しも自己流で気にしていない。
このコロナと自分の境遇を考えると仕方がない。
そもそも一番拝みたいのは仏教そのものなのだ。
日本の仏教で仏様に最も近いところまで行かれたのが、
弘法大師なのだ。
だから真言宗だ。
インドの🇮🇳仏陀の勉強ももっとしたいのだ。
自称発展途上国にいた頃は、上座部にお祈りし、
熱心ではあったが、お坊さんに接する事が少なく、
自分自身がどことなく、いい加減であった。
あそこのお坊さんは厳しい戒律を守っている人が多く、
その真面目さは清々しい程だ。
女性には触っても行けない。
問題は王様を国民に王様では無く、
神様と呼ばせている事だろう。
私が必要としている仏教は、
勧誘の無い仏教
扉を閉めない仏教
政治に関わらない仏教
政治に分別を示すことを教える仏教
誰彼の区別無く「無」を教えてくれる仏教
居住まいの自然な仏教
知識が深まる仏教
善行を第一とする仏教
お金の多寡で優劣をつけない仏教
葬式だけ祈る事は良しとしない仏教
仏教と呼ぶ全ての仏教のお互いの良さを認める仏教
信者数で勝ち負けに拘らない仏教
である。
信ずる人と、
信じられる仏様が、
純粋に対峙し、
祈り、
瞑想し、
懺悔し、
問答する宗教。
それ以外を仏教と呼ばない。
釈迦
「なぜ私は、みずから生の法(ダルマ)を有する者でありながら生まれるものを求め、みずから老の法を有する者でありながら老いるものを求め、みずから病の法を有する者でありながら病めるものを求め、みずから死の法を有する者でありながら死ぬものを求め、みずから憂の法を有する者でありながら憂いを求め、みずから煩悩の法を有する者でありながら煩悩を求めているのだろうかと。」wiki
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