食べる欲望④

 

自分は、食べ方が汚い。残念ながら人から指摘されなくても予期した指摘だ。箸の使い方🥢、味噌汁の啜り方、肉の🥩切り方、ナイフ、フォークの🍴使い方、ティッシュ、ナプキンの使い方、全てにおいて、なっていなかった事を、お詫びする。それは事実だ。食欲が口から最初に出て、料理を食べ尽くしてしまう。その時の汚れ、散らかりに対して全く遠慮がない。何に遠慮がないのか?作ってくれた人、さらに言うなら仏様、神様に遠慮が無かった。こう言う事に遠慮がないと、茶碗の米粒を綺麗に食べる人を「貧乏臭い」と密かに軽蔑したりする。細かい事を気にする人を馬鹿にしていた。

 

この病院で三食食事をして、つくづくその反省が自分の首を絞めつける。たまに、出された量が少ない事がある。部屋に帰りながら、右の頬っぺと奥歯の間を探ると数粒の米が出てくる。その米の美味しい事。右の頬っぺは麻痺しているので、隠れた米粒が息を潜めていても分からないのだ。だから、数粒が隠れている。それを食べると、漸く空腹から逃れたような気がする。

 

遠慮と言えば、大人になるに連れ、食事の席がご飯を🍚食べるだけの席で無くなる。会食とか、パーティとか言うものは、僕が思い切り食べる為に設けられた場ではない。一体何度、これらの食事の席の後、家の冷蔵庫を漁ったか知れない。

 

さて、そこに現れたのがファーストフードである。僕にとってファーストフードと言えば、ケンタッキーフライドチキン(KFC)だった。或いはファーストキッチンだった。或いはシャーキーズだった。設立が1970年(昭和45年)7月4日というKFCは、恐らく小学校低学年の時に、父方の叔母さんが買って来てくれたものが最初であり、多分1973年くらいに初めて食べたのではないか?鶏肉が美味しかったのは今の比でなく、特にコールスローに感動した。正直、マクドナルドを美味しいと思った事はなかった。私にとってハンバーガーと言えば、ファーストキッチンであった。これも小学校高学年の頃、小学校が早退けの日など、友達と待ち合わせをして、大泉学園のファーストキッチンに行ったものだ。みんなで割り勘でフライドポテトを🍟買い、トレイにバラ撒けるあの🌹開放感。そして、私服を着てひばりヶ丘でミーティングと言えば、シヤーキーズだった。何が食べ放題だったか思い出せないが、ピザは多分そんなに美味しく無かったが、その頃の小学生にとって信じられない外食。サラミを覚えたのもこの時期だ。ファースト

フードという名前が皮肉なほど、現在のマクドナルドは疲弊しており、この頃は、ファーストフードで食べるのはステータスだった。当然、ここで友達と一緒の時は、低速ギアに落として食べていたが…

 

ちょっと時間を取りすぎたので、急ごう。

 

小中学は、ほぼファーストフードと母の料理、肉屋の惣菜が食事の中心にあったが、高校からお酒が入り、予備校生活が入ってくると、食生活にも変化が出てきた。一食を、自分の小遣いで、食べる事が増えたのである。大学受験を一年滑り、予備校に通った時期がそれだ。高円寺での食べ巡りだ。トンカツ、カレー、ラーメン、蕎麦、定食、本当に僕は、中央セミナールに通っていたわけだが、高校からの友達、T君とそれはもう色々な店でお昼ご飯を食べた。彼とは何かウマが合った。そもそも彼はミュージシャンだった。僕は歌は好きだったが出不精で、ライブハウスとかそういうつき合いは全て断り、食事の付き合いだった。特に好きなのが、トンカツで、トンカツのいいところは、値段の割に、満腹と健康を保証してくれる(らしき)事だった。この頃から、健康グルメ志向があったのか?と言われそうだが、KFCのコールスローもそうだが、どこかで徹底的に不健康にならないブレーキがある臆病な男だったのである。T君の事はまた別に書くが、あんないい友達と喧嘩別れしたのは、大きな痛手であった。

 

高校まで見て、でも僕はそんなにデブで無かった。大学でデブ人生を決めた。高校の時は、コンプレックスの塊で、自分の洋服さえ母に一緒に買いに行ってもらった。お洒落とは程遠い青年だった。その頃の写真を見ても、悩めるイタリアンみたいだ。2つの発見をした。

❶グルメとは何か

❷コンプレックスとは何かである。

 

「食通とは、料理、料理に関する知識について詳しいことであり、あるいは、それらを詳しく知っている人物のことである。」Wiki

類語・同義語/ 区別される語

「世界的な用語

世界的には一般にフランス語を用いてgourmet グルメという用語・概念が用いられている。フランス語のgourmetはワイン等の情報に詳しい人(ワイン通)を指すこともある[2]。なお、フランス語では「食の享楽を求める人」「大食い」「大食漢」「食い意地の張っている人」のことは「gourmandグルマン」といい、「gourmet グルメ」とは明確に区別している。」Wiki

 

「日本では「食通」は、料理のをよく知っており、食に関する情報(材料の産地、調理法、歴史、他の食通や美食家の評価など)も知っていること、またその人。食道楽(くいどうらく・しょくどうらく)は食べるという行為を道楽趣味とすること、またその人。」

 

とのこと。でも僕は思う。今、グルメのテレビ番組が非常に多い。自分が一緒に食べるわけではないのに、何が楽しいのだ。と言う皮肉を以前に書いた。そして今、この状況であなた方に食事のことを語る時、妙に楽しいのである。目の前に食べるものはなく、今後これらを食べれる見込みもないのに、語る僕の前にはご馳走が並んでいる。これを何と呼ぶべきだろう。食事を食べていないのに食事を楽しむ。フランス人🇫🇷にはないことなのか?

 

そして❷コンプレックス。これは、次回か別のページで。

 

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