特別な日に食べたいのは寿司or焼肉

 

 

食べる欲望③

 

自分の食べる欲望を、幼少期からチェックし直してみた。

そうすると、最初を除いては常に食欲の秋だったなと思う。

 

まず、幼稚園の頃、多分僕は元々痩せて虚弱体質だった。父も母も、どちらかというと太り気味だったにも関わらずである。ヒョロリと細く顔はロシア人だった。母が満州国の大連で生まれ、祖父が満州鉄道アジア号の機関士であった。で、日本が戦争に負けて、ロシア軍に追いかけられて、途中ロシア人に刺されてそれでも一家で命からがら秋田に逃げたものだから、どうも母の天然パーマ、濃い僕の顔はそちらから来たのでは?と思っていた。行っただけなのに無茶苦茶だが、僕はこの一説が好きで人に語るのが好きだ。大体秋田人というのは、日本人離れした秋田美人などと言われ、なんかこいつら変だと、他の日本人に思われやすい。僕なんか3三重瞼であった。

 

「秋田美人(あきたびじん)は、秋田県出身の美人を指す。瓜実顔鼻筋が通り、目が大きく二重瞼、眉が端ですこし垂れた感じ、背も高く均整がとれていて、肌色が白く透き通っているなどの特徴が見られ、京美人博多美人とともに[1]、「日本三大美人」と並び賞される。雄物川上流の内陸部には、典型的に色白な美人集団がいるといい[2]、盆地側の大曲角館を含む仙北郡一帯は特に美人の誉れが高いという[1]。明治以降の花柳界が言葉の発祥であるとの研究が有る[3]。」Wiki

 

うちは大曲である。親父も母もだ。

 

「1966年(昭和41年)、秋田県湯沢市の産婦人科医杉本元祐は、女性の色の白さの計測結果を『文藝春秋』8月号の「秋田美人を科学する」で発表した。

  • 秋田県南三郡の統計は30.5%。
  • 秋田県全体の統計は29.6%。
  • 日本人の平均は22.0%。
  • 白人の比率は40.5%。

さらに、杉本は秋田美人を「混血が生んだ奇跡的美の産物、日本海沿岸地帯共通の日照時間の少なさ、表日本や他県との交流をさまたげる山岳の存在」とする[4]。」Wiki

 

新野直吉は、『秋田美人の謎』のあとがきで秋田美人は「地理的環境による形質的素因、風土の持つ気象的条件、それらに加えるに歴史的刺激などの恩恵を享けて、形成されてきたもの」としている。以下に秋田における特徴的な事柄を挙げる」Wiki

 

「秋田美人は彫りの深いタイプの女性が多い。古代の東北地方に居住していた蝦夷えみし)の血が濃いので美人が多いとする説、シベリアなどとの大陸交流が盛んであった秋田地域の住民とツングース系民族との混血説、お米がたくさん生産される農業大国で健康状態が良いので美人が多いとする説がある[9]」Wiki

 

確かに、今は過疎無人地帯となりつつあるうちの田舎も、写真屋とか、酒屋とか、金持ちそうな家には常に、顔の作りが派手な赤い唇の人がいた。要は、色白で口が大きいのである。で話が戻ると、幼稚園までは明らかにそうゆう顔だった。人は痩せていると、本来の顔立がデフォルメされて行くようだ。

 

しかし、幼稚園に入り事故にあった。入院3カ月の事故で事態は一変。あまり食べない息子に父は食べさせた。お粥、ハム、コロッケ、メンチカツ、林檎ジュース🍎、一挙に食べる方向に向いてしまい、食べれば誉めるという親になった。ご飯は当然2杯は当たり前で、3杯、4杯、奨励である。

そして、この自分にご褒美感覚の食事の仕方が以降に繋がったのだ。

 

以前会社の同僚に、あなたはなんでご飯を汚く食べるのと言われた事がある。そいつがそんなに高級な人間だとは思わないが、確かに、ちょっと軽いショックを受け、だから何か改善したという事はなかったが、食べる速度が速い。噛まない。これらは、自分にとって、食事が足りたと思う前に次を食べてしまうという人間にしてしまった。食事が足りたと思う前に次を食べてしまうという事は、不要な食物を食べてしまうという事であり、胃を広げ、腸の車線を拡張した事に繋がる。

また、食事を生きる為の補給だと考えず、何かのご褒美だと考えるのが問題で、今日は特別な日というのが増え、このご馳走は自分へのご褒美だと考えることが当たり前になった。

 

「1960~70年代の高度成長期からは食肉の需要が急増し、1975年(昭和50年)にはソーセージの材料として魚肉を逆転し、1988年(昭和63年)には実質供給タンパク質量で魚肉を逆転した[13]。

内臓食も、昭和30年代以降は家庭料理として定着しはじめ、食肉生産の増大に伴って畜産副生物の流通も1975年頃には牛で1955年(昭和30年)の2倍、豚で10倍に近い水準に達した。1992年(平成4年)のもつ鍋ブームをきっかけに、家庭用食材として需要が定着した[62]。」Wiki

 

と言うわけで、高度成長期どっぷりの僕は、この時代背景において、魚は普段食べるもの、肉はご褒美🍖という思いが定着し、以前にも書いたが、小学校の同級生の銀行の頭取の誕生日で、鳥の手羽先をみんなが野球をやってる間に友人と全部食べてしまう事件を起こしたのである。そう言えば、今気がついたのだが、その頭取のうちの苗字は鳥越だった。何という偶然。あの頃は、何故人は魚や野菜🥦など🐟食べるのか、という肉食右翼だった。

 

さて、ここから僕はファーストフードの世界にどっぷりと浸かって行くのだが、これでこの節は終わりにするつもりだが、半分も終わっていない。また、次回。

 

 

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