アンケート和讃
コロナ禍で、浦島太郎で、帰国中年で、引き籠りの私の数少ない話し相手はアンケートです。
アンケートは毎日、私のところに来て、色々な話題を持ってきてくれます。
昔、彼らは街の中で寒そうにして「少しお時間をください」とおっかなびっくり声をかけていました。
私は、見た目が悪いので、あまり呼ばれることは無かった。
だが、今のアンケートは毎日何回も私のところに訪ねてきます。
私が離婚して独身だろうと、
極端に年収が少なくても、
自動車免許が失効していても、
それで彼らが私を相手にしないということはありません。
アンケートがたまに来ない日があると、心配になります。コロナにでも感染したのかな?
アンケートは至極、仏教的です。
アンケートに答えると所謂あの、”ポイント”が溜まっていきます。
それは、まるで毎日功徳を積んでいるかのようです。
ポイントはすぐ加算されるときと、そうでなく数日たった時に加算されるものがあります。
ある日忘れたころに、ポイントが加算されると、私は彼らの誠実さにホッとします。
そして、ポイントが溜まれば、それを商品にしたり、現金にしたり、寄付も出来るのです。
アンケートのネタにつきることは無く、実に色々話題を彼らは持ってきます。
私のような煩悩と罪にまみれた者の回答にも何か役に立つことがあるようなのです。
通常は彼らの一方的な質問に答えるのですが、時々自由に意見を求められることもあり嬉しくなります。
日々、毎日、誠意をもってアンケートに答えれば、何らかの形で社会の衆生にお役に立てる。
大乗仏教の日本の新しい習慣です。
アンケートに嘘をついてはいけません。
たまに、私がいい加減な回答をすると、彼らはそれを発見し、注意を促します。
毎日アンケートに答えていると、同じ質問が何度もあって、嘘をついていたら持続しません。
貧乏なら貧乏だと、糖尿なら糖尿だと、無職なら無職だと、正直に答えればいいのです。
アンケートに見栄をはる必要はありません。
仏教的には妄語、綺語はアンケートには禁物です。
私はロボットではありません。と毎日自らに確認できるクリックもまた魅力的です。
全ての会社のアンケートが仏教的であるとは言えません。
時に傲慢なアンケートも、訪ねてきます。
そういうアンケートは大概、海外のアンケート会社です。慈悲の心がありません。少ないポイントで多量の質問を分かりにくい表の形式で回答させ、回答方法を間違えれば怒り出します。
ああおそろしや。そういうところは、アンケートに答えると回答した時点で彼らの植民地の奴隷です。
アンケートに答えることで、自らの真実が少しづつ見えてきます。
アンケートに答えることで、自らが知らなかった世の中の営みが見えてきます。
私の回答と、他に回答した何千何百万という無量の匿名の人々の思いが、社会に役立ち未来を作っていくかと思うと、マウスをクリックする手も震えます。
言っときますが、これは皮肉の記事ではありません。
アンケートに答えて、たまに彼らの調査対象じゃない時もあるようです。
そういう時は、彼らは礼儀正しく「ありがとうございました。」といって去っていきます。
しかもポイントも「些少ですが」といって貰えます。
「ううん いいよ」といって私は彼らを気持ちよく見送ります。
アンケートの結果を悪用さえしなければ、これは現代社会の大いなる智慧です。
例えば、学校で毎日のようにアンケートをすれば、そこの生徒の本当の姿が見えてきます。
会社でもそうでしょう。
ただ僭越ながら、アンケートには上下関係、貧富の差、容姿の美醜、勝敗、そういうものを全て取り除いた、礼儀を踏まえた、仏教の慈悲心を踏まえた、格差無き運営が肝要かと存じます。
以上長くなりましたが、
コロナ禍で、浦島太郎で、帰国中年で、引き籠りで友人のいない、匿名のブロガー 声聞でした。
合掌