土曜日欲望ヒンズーの反芻

 

人が欲望を満たす為にお金を手に入れたとしよう。そのお金は何に使うだろうか?欲望を満たすとは何か?言い方を変えよう。人がお金を手に入れたとしよう。自分では使い道がない。そのお金は何に使うだろうか?お金は何に使うことで最も、幸せと言う欲望を満たすものだろう。何に使う事で、キリが無く不足して行くのだろう。

愛と言う呼び名の家族じゃあないのか?

子供、

病気、

家、

車、

洋服、

あなたは、お金を持った途端に一家の大黒柱になり、そう言った全ての需要に応えなくては行けなくなる。その需要の繋がりは、キリが無い。特に私のいた東南アジアにおいてはそうであった。お金が入った途端に家族が増える。知り合いが増える。恩人が増える。あれだ。日本人は恥の文化が若干違うが、同じ人間であり、金に換算すれば問題は一緒だ。

家族は現在の縦横系列に加え、時間と言う時系列も容赦なく幸せに影を落とす。タレント、有名人、政治家、スポーツマンの中にもこれに失敗した人は大勢いる。人はお金に困ろうと思えばいくらでも困れる。人類は赤の他人でまた、どこまでも兄弟である。

 

私は、これを書きながら頭がボーーっとしてしまった。

息を吐いたら限り無く展開し広大な宇宙を作り、息を吸ったら全てを胃の中に納めて何事もなくなってしまうような気分だ。そう、これが欲望なのだ。目標が無く、容赦も無い。諦めれば何でもないが、何が何でもないかが分からない。

 

お前は馬鹿か?おかしくなったのか?この思考ゲームに落ち込めば、誰でもこうなる。今ひとりのバラモン教か、ヒンズー教の神様を思い出そうとして、本まで持っていたのだが、出てこない。欲望の為に何でもどんどん食べてしまう神様だ。体がどんどん大きくなって行く。あの本、どこに置いてきたかな?思い出したらここで紹介しますが、思い出したらまずい様な気もする。とこの様に全てにおいて反芻し、最後には「無」となるのだ。多分僕はさっきその地雷を踏んだのだ。そして眠り、目を覚ましたのだ。

 

欲望の核に触れる話には危険が多いのかも知れない。

でも「無」を悟る事は重要だ。

今回はこれで終わります。

あの神様を思い出したら、ここで紹介します。

 

世界で3番目に大きなヒンズーの神よ。

私は4番目に大きな仏教のちっぽけな信者です。

欲望の神様の本をある国で手に入れました。

お願いですから私に戻してください。

偉大なる「無」を学ぶ為に。

 

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