ひとつの穴🕳を狙う欲望つづき

 

ゴルフのいいところは、自然の中に己が包み込まれる感覚である。

だったら、山登りでもいいじゃないか?と思われるかもしれないが、山登りなんてやった事ないのでわからない。誰も誘わないならゴルフなんてしなくて良い。でもホール毎に、違う造型と自然を味わいながら、たまに自分のプレイが良かったりすると、其の一体感は堪らない。其の風景に、私のような愚昧の姿が溶け込み18ホール(或いは27、36)を周り終えた時の達成感、汗と太陽と午後の風がもたらす満足感。「だからゴルフはやめられない」となる。だから、ゴルフしかした事のない僕にとって、自然の中でやるスポーツはゴルフであって、私の好きな唯一のスポーツもゴルフである。私が出来るんだから、誰でも出来る。

 

僕みたいなワガママな人間がワガママを通すと、あいつとあいつとあいつは、一緒にやりたくないとなってしまう。1番の問題点は人間だ。人間のいないところで一度でもゴルフがして見たいとなってしまう。まあ、スポーツは大なり小なり人間関係を前提にしないとやれない物だが、ゴルフの場合、自然とやるスポーツの割には、人間のやらしさが露骨に出てしまう。増してそれが、コンペのような席になると、上下関係、大小関係、年齢関係、取引関係、などがゴルフの本来の楽しみを忘れさせてしまう。何しろ、上からして、オバマとやった、クリントンとやった、ブッシュとやったと有頂天になる世界であるから、サラリーマンに至っては言わずもがなである。これが、まずはゴルフを脂ぎった欲望のスポーツにしている第1淫であるし、追求すればどこまで爽やかなスポーツかしれないのに残念な事である。ゴルフ=欲望としか考えていない人がどれだけいて、歳をとればとるほど自分がそのどちらが本物か?分別が付かなくなる。作り笑いをし過ぎると、何が真実か分からなくなる。

 

潰れたゴルフ場を、人々に開放して公園にしているが、いい事だと素直に思う。あれだけの広い土地を、一部のエクゼクティブ?にだけ使わせておく必要はない。家族4人でプレイをしてもいい、一緒に行くだけでもいい。ただコースの沿って、出来ればだれかの解説など有ると楽しめるだろう。みんなで楽しくプレイするために、マナーを守れなんていうおっさんがいたが、そんなオッサンに限って、マナーとは何か知らなかった。

 

「マナー(英語: manner)とは、人と人との関わりで当然その場面でしかるべきとされる行儀・作法のことを指す[1][2]。これは自分一人のとき、他に見ている人が誰も居ない場合でもそれを守ることが望ましい価値観である[注1]。

マナーと同様の意味を持つ言葉としてエチケット(英語: etiquette)というものがあり、エチケットはマナーと比べより狭い(近い)領域の人間関係について使われること[注2]が多い[3]。例えば「服装や髪形の清潔感や体臭の配慮」や「人の前ではゲップ放屁を控える」などのような生理的不快感を回避する装備や行為も、どちらかというとエチケットが使われる。」

Wiki

 

どこにも、マナーとは、「自分の欲望を満足させる為に対する人によって裏表を持つ事である」とは書いていないが、私の上司の肥溜はそれを少なくとも17年をそれで過ごした男である。この人ぐらいになると、何が本当の自分か分からず、認知症になってしまった事だろう。

 

ゴルフはもっと一般の人に開放すべき、いいスポーツである。コロナの時代だからこそ尚更だ。そうさせないのは、利権で、政治で、金である。僕のうちの周りは、空から見るとゴルフ場だらけだが地上では分からない。ゴルフに対する歪んだ価値観が皆を不幸せにしている。

 

最後に、右麻痺の状態でゴルフは出来るか考えてみた。腰から下が固定されていれば、出来ない事は無いような気がする。右利きの場合には、ゴルフクラブは左主体で動く。ただ、右は全く動かないからどうかな?フットゴルフも是非頑張るべきだ。ゴルフからあの嫌な悪臭を除き、当たり前のようにみんなが遊ぶ。良し。

 

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