1992年10月
僕は、その国に赴任した。
着いてすぐ、言葉の勉強をしろという事で、
会社よりも、アパートに遥かに近い街中の学校に通った。
タクシーで🚕通っても良かったが、
渋滞がひどいので、二輪車タクシーの後ろに飛び乗った。
15分くらいの道中、僕は幸せだった。
僕は学生の時、この国に遊びに来ていたので、
僕は学生の頃、この国で仕事をしたいと思ったので、
何より僕は学生の頃、
日本みたいな🇯🇵、寒くて、人が犇いて、
それでいてお互いがソッポを向き合うような国が嫌で、
南国は寒くなく、みんな色黒で性格も明るそうで、
何より、自分が社会人になって何をするべきかも分からず、
嫌な国で仕事をすると、我が家遺伝の躁鬱病が発症するかも分からず、
とりあえずは住を定め、
会社の仕事も全くちんぷんかんぷんだが、
それも当時はバブルが弾ける前で、
何処に勤めるのも自由であり、売り手市場という奴で、
その年の4月に会社に入って10月に赴任と、
私の人生に向い風はなかった。
「勝った。勝ちだ」
僕はそう思った。
誰も考えなかった逆転劇だ。
「あんな大阪の中小企業、なんで行くの」
友人はマスコミ、自動車会社、金融、行きたい有名企業に入った。
だから、馬鹿の考える事は分からん…と。
僕に言わせれば、
人生は会社の名前でも、人気の業界でも、給料の良し悪しでも無い。
生活の質だ。
自分が主人公だ。
その点だけしっかりしていれば、夢がブレる事は無い。
それから30年以上、
色々あったが、
家内には捨てられたが、
何人もの女に騙されたが、
沢山の人に軽蔑されたが、
病気で半身麻痺になったが、
僕は幸せだったと言える。
後悔は無い。
あなたから見れば、些細な喜びだが。
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