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ミステリー記念日
「低血糖」
美扇と暮らして7年が過ぎた。
この娘は23、僕は47である。
前の家内と別れ、ただ部屋を点々とし、休みになればお寺に行った。
ほぼ毎日、外食をして彼女の小言とイタリア料理🇮🇹を肴に夜は更けた。
時々車で遠出をし、僕がお寺で写真を撮っている間、
彼女は牛に🐂草をやっていた。
長い休みには、田舎に行って、ホテルに2、3泊した。
最初は派手だった彼女も、この頃は薄黒く、しなやかで、
あまり化粧をしなくなった。
週に2、3度彼女の体を求め、そのうち1回は「手で許して」と言われた。
彼女に何も不満はなく、
何かで壊れそうな弱々しさもなく、
2人の時は過ぎていった。
美扇は前の家内の事は何も聞かなかった。
美扇は、自分から好きだとか、愛しているとは言わなかった。
だから僕が意地悪をしてやろうと彼女の愛を疑うような事を言うと、
「愛していなかったら、何で一緒にいるの」と返した。怒っている訳ではない、揺るぎのない、一言であった。
何か重要な秘密を共有する者だけが交わす会話のようだ。
そしてある日彼女は雲雀を身篭った。
未だ籍も入れていないのに、雲雀は彼女の体に宿ってしまった。
それから10カ月後、雲雀は街の大きな病院で帝王切開で生まれた。
雲雀は如何にも私の国の赤ん坊見たいに、肌が所謂肌色で、
私に似ていると言われれば言えない事も無かった。
似てる似てないは重要ではなかった。
何故なら雲雀の出産を、初めて立合ったからだ。
前の2人は立ちあった事がないので、我ながら感動した。
美扇の手を握り数分、彼女の叫び声が途切れると、
シーツで覆った局部から担当の先生が雲雀を取り出した。
少しの時間の静寂は、やがて雲雀の泣き声、
全てを忘れ、完璧な時間に酔いしれた。
ただ一つ美扇の血糖値が低くて病院のスタッフがちょっと焦っていたが、
少し心配しただけに、喜びもひとしおであった。
その後雲雀はスクスクと育ち、
それと共に私の会社の業績は悪くなって行った。
雲雀の笑い声は、粉ミルク🥛を飲み干すと同時に弾け、
私の楽しみは日々雲雀の成長のみとなって行った。
会社が更に不味くなると、美扇の母が、雲雀を田舎に連れて行き、
最後には、僕も日本に帰らなくてはならなくなった。
小さなアパートで、美扇があるたけの洋服をスーツケースに詰め込み、
空港の出発ゲートで、彼女だけがシクシクと泣き、
私は日本に帰った。
丁度日本に帰ったのは10月の今頃だった。
25年前、会社に赴任して最初の妻が空港に迎えに来たのも10月だった。
私は全ての疑問が溶けると共に、
どうしようもない規模の暴力が全て私に向けられたのを知った。
私は何故泣かったのか?
雲雀は本当に私の子供だったのか?
美扇は10年前、何故私のところに現れたのか?
その以前にいた妻2人はどこまでがフェイクで、どこまでが本物か?
美扇に本当の夫がいたとして、こんな事をする理由は何か?
全ては嘘だった。
そして長い長い嘘だった。
下手すれば現実より長い嘘だった。
こうして今、
障害者になって、
施設の認知症のおじいちゃんとおばあちゃんに、
この事を話したら、
信じてくれるかしら。
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