今日は、7月7日タナバタ。

 

元は24節季の小暑の「シチセキ(七夕)」と言われ「タナバタ」ではない。

 

織姫と彦星が出会うという中国の風習の「乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)」が元だといわれる。

七夕に女子が手芸や裁縫などの上達を祈った。

 

しかし、元来日本のタナバタは別物であったが、これに中国の風習が混濁し、日本の元の風習が消し去られ中国の風習に置き換わった。

当時の中国は高貴で且つ世界の先進国だったので中国の風習はいとも簡単に日本の風習と置換されてしまったのであろう。

 

だからタナバタに七夕の漢字をこともなげに当ててしまった。

 

それでは本当の日本のタナバタとは何か?

古代から文書を残さない日本では日本古来の風習を知るのは困難である。

書物が残りだす万葉の頃だとすでに本来の意味は忘れ去られ新しいものに置き換えられている。

それでは日本本来の風習、本来のタナバタを知るすべはないのか?

 

その答えが沖縄ある。

 

沖縄は日本古来の風習が近代まで伝えられており、民俗学の宝庫であるといえる。

古代日本史を追うなら沖縄の文化や風習などを分析するほうが早い。

 

それでは古代日本の「タナバタ」とは何か?

まず沖縄の「タナバタ」は、お墓詣りであり、あるいはお墓の掃除に行くところもある。

 

織姫と彦星のロマンチック性など微塵もない。

ただ、今現在、自分がここに生きて存在しているのはご先祖様のおかげであるから、ご先祖様に感謝を込めてタナバタの日に行くのであるのだから悪いことではない。

 

では「タナバタ」の語源を探求してみる。

 

「タナ・・」というのは、棚、つまり岩棚に由来することがわかる。

だからお家にある神棚はこの岩棚を再現しているのである。

 

そして「タナ・・」があるのが「・・ハタ」なのである。

「・・ハタ」というのは琉球諸語で見ると「ハンタ」や「バンタ」で崖のこと。

地名としては「萱ウチバンタ」や「ハンタガワ(繫多川(川は井泉のこと))」として残っている。

 

「タナバタ」というのは崖っぷちにある岩棚そのものを指す。

岩棚自体が通常は崖にあるものである。

 

古来「岩棚」は超古代は人の住居としてつかわれてきた。

やがて、神に祈りを捧げる神聖な場所であったり、時にはお墓として使われる様になってきた。

神聖な場所としての岩棚を模したのが「掛け造り」とか「懸崖造り」と呼ばれる、崖の途中に足場を組んでかけられている神社やお寺なのである。

 

その岩棚は沖縄では世界遺産の聖地であったりお墓として残っている。

沖縄では、横穴を掘ったり、人工的な構造物としてお墓が出来るまでは岩棚つまり「タナバタ」にお墓が作られてきた。

 

だから「タナバタ」はお墓参りなのである。

しかし、「タナバタ」は神を祀るところでもあるので「タナバタ」には「神への奉納」もあった可能性は高い。

古代は先祖も祖霊神の神なのでどちらの儀式も昔は違和感なく行われたはずである。

 

やがて旧盆の風習が入ってきて、ほぼ同じ時期にお墓参りが重複することになる。

合理的な考えの人たちは「旧盆」はお墓参り。

「タナバタ」は旧盆の為のお墓のお掃除としていくようになったりした。

お掃除のときはお供え物はなくても、お線香を焚けば二度お墓参りしている事には変わらない。

同じことの繰り返しだから止めようとかではなく、行事の主旨をかえることで古来からの伝統文化を消すことなく現代に伝えている。

 

本土日本が近代化や合理化で伝統文化を消してきてしまい、古代日本の姿を失っても沖縄に古代日本の風習が残る限り古代日本の原点は失われない。

戦争さえなければ・・・・・