本土メディアは、戦後GHQによって育てられた。

 

大手主要メディアだけでなく、地方メディアにも及ぶ。

 

GHQによる厳しい検閲は、廃刊という「死」やGHQによる収監よりも

目先の「お金」という甘い汁を選んだ。生き残るという言い訳で日本人としての尊厳と使命を放棄してしまった。

 

現在では、記者クラブという言論統制のなかで今もGHQの統制を継続して存在している。

これが本土メディアの実態といえる。

 

熟考する人からそっぽを向かれる真の原因がすなわちGHQによる統制と洗脳から脱却できずに今現在に至っている。

この現象は、まるでカルト信者のようである。

 

一方、沖縄のメディア

こちらは、戦後CIAによって規制されてきた。

しかし、米軍統制下で、米軍人による沖縄県民惨殺事件やレイプ事件が多発していても米軍人や米国人は何のお咎めもなく、無罪放免された。

これらのことは、終戦直後の本土各地でも起こっていた。

しかし、沖縄では終戦直後から1972年の日本本土復帰後も同じように起こってきた。

 

このような、米国の人権無視、非民主主義政策という暴虐無人な圧政と対峙してきたのが沖縄のメディアであった。

 

本土メディアがこぞって「飴と鞭」のうち、飴(金銭や特権)を選んだのに対して、命の尊厳とアイディンティティを守るために「飴」ではなく「鞭」というあえていばらの道を選んだのが沖縄のメディアであった。

 

縄文時代の日本は、1万年もの間争いがなかった世界でも稀有な地域だといわれる。

ナポレオンは、武器を放棄し平和主義を唱えた琉球(沖縄)が、「ありえない(有り難き)」こととして驚愕した。

 

沖縄のメディアはアイディンティティを守ることにより、縄文時代以来の世界に冠たる「日本古来の平和主義」を伝統的に守っているに過ぎない。

 

あまりにも歴史認識と平和の本質、民衆主義とかけ離れているのは、沖縄と本土、どのメディアなんだろうか?

 

偏向しているのは、沖縄のメディアなのか本土メディアなのか?

 

中央のメディアは、過去73年間とこれからの未来永劫もGHQ(CIA)からの脱却はできない。

 

メディアは、誰のためにあるのか?

 

地方のメディアは、中央のメディアと完全に決別し日本の伝統とアイディンティティを守ってほしいものである。