『神道のスピリチュアリティ』の著者・鎌田東二氏が「科学とスピリチュアリティの時代」(2005年出版)に寄稿した論文が目に留まりました
以下、論文の要点をまとめてみました
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Spiritualityの訳語には霊性が用いられるが精神性、あるいはそのままスピリチュアリティと呼ぶ場合もある
場合によっては道心(求道心)、発心(発菩提心)、つまり道を求める根本衝動・動機の意味では、スピリチュアリティとは道(タオ)であり、道を求める心の志向性と言える
『神道のスピリチュアリティ』では、霊性の概念を9つの側面からとらえている
1、普遍志向性
2、宗教性、通宗教性
3、平等志向、人権意識とのからみ
4、開放性、閉鎖性、偏りを打破できる言葉
5、神性、仏性、心性、精神性との違いと、そうでないことの意味
6、曖昧さ、融通無碍、ぼやかし
7、WHOの健康の定義への語の使用は無信仰、無神論者への強制、圧力になる?
8、精神性のさらに深い次元、深層的自己への注視と関心と洞察(内省・内察)
9、霊性の三要素(全体性、根源性、深化)

スピリチュアリティという言葉は多義的な意味内容を包含している
神や仏という特定の霊的存在や理想的人格を表すのではなく、それをも包摂する普遍的包括概念を持つ
普遍志向性(全体性、根源性、深化)を持ち、通宗教性を示し、全ての人間に通じる平等志向を背景に人権思想を支える基盤でもあり、人権を越えた全生命の生命性を包含する概念がスピリチュアリティ
日本列島は、太平洋プレート、ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピンプレートという4つのプレートの複合の上に出来上がっている(自然地理学的特性)
歴史的に神仏習合、神儒習合などの習合思想が盛んになった(人文地理学的特性)
これらの特性の根っこには、日本列島文化の根本的特性としての神神習合文化がある
習合性とは、東西南北から列島内に入ってきた部族と文化との混合態
神道文献に霊性の語が現れるのは平安時代の終わり頃から
平安末から鎌倉初期にかけて活躍した神衹官大副・ト部兼友著『神道秘録』に霊性の語が初出
「円満虚無霊性」という6字の熟語を用い、神道的宇宙観を表現
神道の玄旨は、円満虚無霊性であり、日本書紀で最初に出現する神・国常立尊
神道とは、この円満虚無霊性を守ること
室町時代後、中世最大の神道家で吉田神道(ト部神道もしくは唯一宗源神道)の大成者・吉田兼俱主著『唯一神道名法要集』は、神とは全ての霊性の通称と考える
純一無雑の真元の神の本質を言い表すために神道と言わずに真道と言うと主張
霊性とは、万物を万物たらしめる根本原理、根源エネルギー、至純にして正邪善悪の倫理道徳の根幹をなすもの
中世の霊性論は、存在論的な霊性論で、宇宙原理と呼べる
江戸時代の国学者・平田篤胤は、宇宙論的霊性論を自己論的霊性論へ展開した
平田篤胤は、吾身観という神道行法を編み出し、自己修養、修道として実践
わが身がムスビ(産霊)の神の至善の精性を分与された分魂、分神であり、天地と同体で、霊性は死んでも残る無窮の吾であるという観想法の実修
産霊神の妙なる神徳、力業を理解する知性は、久延毘古(くえびこ)という天下世界のすべてのことを知る神の働きであり、わが身がその久延毘古と同体であると観想し、自己鍛錬した
大正時代、大本教の出口王仁三郎は、機関紙『神霊界』において、自分たちは仏教とかキリスト教とかの宗教宗派に関係なく、互いにその霊性を磨き、時代の順応した教義を研究するところであると主張
霊性を、教団宗教的な立場を越え、ある普遍的な人間的本質として捉えている
昭和初期、アメリカ人ジャーナリスト・J・W・T・メーソン著『神ながらの道』では、神道や神社には、「自然の霊性」があり、特に神社は普遍的霊性に挨拶をする場所で、霊的元気回復の場所と主張
昭和10年に大本教より分派独立した世界救世教の教祖・岡田茂吉は、霊性について次のように述べている
「日本人は霊六体四であるのに対し、西洋人は霊四体六」
「唯物主義に於ては人間の霊性を認めない、物質理論のみで解決しようとするそこに大きな誤因がある」
「霊が向上すると、芸術的にある程度理解力が一致する。よく外人で日本の文化に憧れる人が多いが、日本の芸術は非常に高いからそうなるべきは当然。判らぬのは霊性が低いから」
日本人の霊性が他民族や他国民に比べて特に優れているという独断的、ナショナリスティックな霊性論には鎌田氏は批判的
一方、ユングがいう「集合的無意識」、鈴木大拙がいう「日本的霊性」のような、霊性論と民族的特性との関係性の研究は自己省察に値する
神道における霊性の語は、宇宙原理か人間原理、人間特性、民族原理、自然原理などに転用されつつ今日に至る
霊性には、大宇宙(マクロコスモス・自然)と小宇宙(ミクロコスモス・自己)を貫く普遍的当体を観収しようとする姿勢がある
