日本科学未来館で開催されたトークセッション「"ふつうの人"は科学で定義できるのか?」<ゲノム解析編>」に参加してきました。
最近、食と医の領域で、特に賑わっているゲノム。ゲノム編集技術を使うことで、100%の確率で狙った効果効能を発現させることができるため、遺伝子組み換えよりも重宝されています。
Genomeゲノムとは、Gene遺伝子とChromosome 染色体の造語で、「遺伝情報の全体・総体」を意味します。
DNAとの違いも踏まえてレシピ本で比喩すると、DNAは紙、ゲノムは紙に書かれた全内容、遺伝子はそのうちの1レシピにあたります。
「ふつう」を英語で表現すると、Common共通性、Average平均、Ordinaryありふれた、Normal正常な、などいくつかの類義語が出てきます。「ふつう」をどう捉えるかにより、観点が変わってきます。
ヒトゲノムは32億と32億、合わせて64億の塩基の暗号です。
誰一人として同じ塩基配列を持つ人は存在しないため、みんなが違うということになります。
みんな違うということは、必然的に多様性があるということです。
とかく、自分たちは、ふつうでないものを異常と捉え、それをふつうに戻すことに正義を見出します。
医学モデルにおけるふつうとは、病気になった状態をふつうに戻すこと。そして、それは良いものだ、という考え方です。
ところが、医学モデルから社会モデルへの切り替えが行われています。つまり、社会を変えていくことで、ふつうを定義していくこと。今までは、ふつうが前面に来ており、それが絶対不変のものだと思われてきたことからの脱却ですね。
生まれつき障害を持って生まれた子供が車いすで過ごすことは、活動範囲が広がるにつれて、車いすに乗って生活活動を営んでいる人に遭遇する頻度が低いため、頻度の観点からもレアであるため、ふつうではありません。
誰もがふつうに近づきたいと思うでしょうが、それがどうしても叶わない五体不満足の方々の精神的な悩みは計り知れないものがあります。
それは、その人が抱き、社会が認識する「ふつう」の目に、押しつぶされてしまうから。
ここに観点の切り替え、ものの見方の切り替えが行われない限り、生きていくのは辛くなります。
ふつうの再認識、再定義、再把握。
多様性を前提とする観点から出発すれば、ゲノム的には、誰一人同じゲノムを持つ人はいないため、ふつうの人は存在しません。
その一方で、多様性を中立的に記述できるのがゲノムです。ふつうは人により違うということを教えてくれるのもゲノムです。
ただし、ゲノムは記号であり、有限であるため、すべてを記述することはできません。
もしあるカップルのゲノム分析を行い、生まれてくる子供にある病気が発現する確率が高いことが事前にわかっているにも関わらず、子供を産みことはどうでしょう?
生まれてきた子供の親は、病気になることが分かっている子供をこの世に産む決断をとりますか?
ゲノム編集技術を使えば、人工的に都合よく、病気が発現しないように、コピペすることで、ふつうに近づけることができるかもしれません。
そこに倫理はありますか?
ふつうとは、その人らしさであり、「自分のふつう」こそ、中庸、バランスがとれた状態。
誰かに押し付けられたふつうから脱却して、自分のふつうがある、という視点を持ち、社会に存在する、様々な多様性に満ちたふつうとの出会いにより、生きていくことがふつうのことなのだと思いました。
