舞台の千秋楽を終えたその脚で、父の傘寿のお祝い会のため、引っ越して2ヶ月半ぶりに実家へ行った。


兄夫婦と甥っ子S(17)、U(14)家族もつつがなく駆けつけてくれました。


食事が概ね済んで大人はお酒を飲み交わす頃、リビングではSとUが花札を始めていた。


あまりの仲良さぶりに兄嫁Nちゃんに尋ねると

兄弟喧嘩をしたことが無い、とのこと。


私は散々兄と暴力も含む喧嘩を経験してるので、思春期の男子二人が仲良くカードゲームをしてるだけでほっこりとしニンマリ眺めていた。


そのうち両親(兄夫婦)もカードゲームに参加し、その光景は、私が幼稚園~小学校の頃の、まだ家庭が安心出来る場所だったあの頃の光景に重なり心臓がギューンとしてきて、見ているだけでは堪らずに「はるちゃんも入れて!」と仲間に加えてもらった。


10代の瞬間的記憶力と瞬発力には全く対抗できず私は3戦3敗した。

幼少期にあれだけトランプゲームが強く、自己肯定感爆上がりだったのは、親が負けてくれたわけでもなくただただ若さゆえの事だったのだな、ということにも思い至り感慨を深くなどしていた柔らかな時間だった。


さて会は恙無くお開きとなり、兄一家を見送り、片付け最終チェックをしたあと、私も帰り支度の玄関で


私「じゃまたね」

父「ありがとありがと。ほんと楽しかった。来てくれてありがと。」


なんて会話があり

ていうかその直前に母の退院後の病状確認なんかもしてて、そんなに良くは無いけどまあ仕方ない、って話しも3人でしてて。


それなにの私はここをサラりと立ち去るんだな

それでいいのかな…

って若干モヤモヤしてしまったのと…


「"来てくれて"ありがとう」


と、私はもうここの住人ではないことを当たり前のように告げられたことに勝手に衝撃を受けてしまったのだ。


そして赤ワイン一本のうち9割を1人で開けた勢いで

何かが堪らずに、号泣しながら最寄り駅まで歩いたのです。


だって私たちもしかしたら

もう二度と生きては会えないかもしれないし。

だってお父さん、だいぶ足元不如意だったじゃない。


本人も認知してる不如意だから

要らぬ心配はしないけど

要る心配は常にそこにあるもんね。


お母さんもさ、お父さんの認知がどうとか行動がどうとか愚痴ばかり言ってるけど、お母さん自身の身体のことを考慮したら、お母さんが介護される立場になる可能性もあるじゃんね?


高齢の2人をこんな年齢で改めて二人暮しにしてしまったことに胸を痛め、だからといって他の選択肢を考える術はなかった。


そしてそれでも出てゆく私を、一切引き止めたり苦言など言わなかった私の父と母は


私が認識しているよりもずっとずっと

子供である私を愛してくれていて

でもそれが私には真っ直ぐに伝わらないような

2人して愛情の表し方が独特に下手すぎただけなのだろうかと…




今この認識でもって私が私の子供時代に戻れたら

「この人らクソほど下手くそやけど、でもなんか愛してくれてるみたいやな、しょーもーなー」

って思えたんだろうか…


今からでもそんなふうに思え直せるんだろうか。


できるのであれば全てを回復してみたいと思う。