劇団東京乾電池との繋がりをいまとても濃く感じている。

 
下北沢で生まれ育ったしゅはまにとって
自転車で近所をブラついてる一風変わったオジサンが
柄本明さんだった。
 
東京乾電池に入ろうと思ったのは柄本さんにご近所さん意識があったのと
舞台で観た綾田俊樹さんのお芝居が大好きになったから。
 
果たして劇団員になったら
肝っ玉母さんみたいな角替和枝さんがいた。
チャキチャキした、でもスッゴク優しい人だった。
 
劇団20周年記念「しとやかな獣」では柄本&和枝夫妻の娘役をやらせてもらった。
あの頃は若手に恐れられてた柄本さん。
優しくカラリとケアしてくれるのは和枝さんだった。
 
小屋入りすると佑と時生が劇場を遊び場にしていた。
小道具や衣装の準備をしながら二人を叱っていた和枝さん。劇団員は二人の兄姉だった。
そして和枝さんは全員の母親だった。
 
みなさんの記憶に残るありがたきCM
「TBCでナオミに変身」に出演したのもこの頃。
 
急に劇団を辞めてしまったことが申し訳なくてしばらく距離をおいていたけど
久しぶりに乾電池の公演を見に行ったら
 
「しゅはまが来たよ!!柄本っちゃんしゅはまだよ!!」
 
って最初に温かく迎えてくれたのは和枝さんだった。
 
それからは楽屋に挨拶に行く度に打ち上げに誘ってくれたりとずーっと優しい人だった。
 
しゅはまと仲良くしてくれてた
先輩劇団員の谷川昭一朗さんとさっき偶然会った。そんなことってある?って場所でバッタリ。
 
「和枝さん演出の公演が来月予定されていた。
でも舞台は止められない。
やらなきゃいけないこと(稽古)があって
却ってよかったよ。みんなもそうだと思う。」
 
そう言っていた。
ほんとにそうだろうと思う。
 
 
そしていま
しゅはまが辞めたあとに東京乾電池にいた元劇団員の人と
とある話しを進めていて…
 
「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督が
過去の全てがいま回収されてきている、と言っていたが
 
しゅはまも過去の経験やご縁が全て
いまに活きている
生かされているような気がしています。
 
64歳でのお別れは早すぎて
「しゅはまが来たよ!」ってもう言ってもらえないと思うと哀しいけれど
劇団東京乾電池出身であることに胸をはって
和枝さんに恥ずかしくないように精一杯の力で頑張っていきます。
 
これからのしゅはまを見守っていてください。