20代、30代はずっと、通訳の仕事をしていました。

 

英語ではなく、いわゆる多言語のフリーランス通訳です。

 

ODA(政府開発援助)分野を中心に代表団の通訳をしたり、

国内での仕事はもちろん、海外出張も多くありました。

 

フリーランス通訳として、仕事は常に緊張の連続でしたが、

毎日とても充実していました。

 

しかし40代に入るころには通訳のハードワークに疲れてしまい

(肉体的にも精神的にも本当に大変な仕事です)、

 

徐々に教育分野にシフトすることになりました。

 

知人から「NPO法人で語学を教えてみない?」と

誘ってもらったことを幸いに、

専門学校や大学で、第二外国語を教えることになりました。

 

40代から50代なかば過ぎからは、通訳をやめ、

「外国語教師」の資格をとり、

語学教師の仕事に専念していました。

 

ですので、手芸堂をオープンする前の、

社会人としての最終形態は、

大学の非常勤講師です。

 

仕事人生の後半にさしかかってから

教育分野にたずさわることができたのも、

大きな財産になっています。

 

そろそろ60歳が見えてきたころ、

退職したら一人でやれる仕事を始めたい、と

漠然とですが思うようになりました。

 

通訳中はいつも、「人」の発言、

表情の変化、思考の流れに全神経を集中していました。

 

教育分野も、「人」と深く関わる仕事です。

学生を大切に思い、勉強のやる気を持ってもらうことから始まります。

 

どちらも素晴らしい仕事ですが、

こんどは「他人の存在」から離れてみよう。

 

そう感じ始めた矢先、心臓病を発病しました。

 

(続きは次回に)