13年前の14時46分、東日本大震災が、ありました。
あの時はスーパーの惣菜部で勤めていて、
なんか珍しい警報みたいなのが鳴ってるなぁと
思った所でした。
その直後、店内が大きく揺れ、揚げ物を揚げる
フライヤーに入っていた油が派手にこぼれ、
店内に陳列してあった商品は床に落ちて割れたり
散乱していたのを覚えています。
私が住んでいた地域は津波の影響はなかったですが、
その後も水やカセットボンベ、トイレットペーパーなど
様々な生活必需品が入ってこなかったり、
ガソリンが入ってこなくて隣町では買えず隣県まで
買いに行ったり、
電話が通じず公衆電話から連絡したりもしました。
ニュースを見るたびに津波による甚大な被害と
原発崩壊による福島県民に対しての風評被害が
聞こえてきて当時は辛かったですね。
当時地震を体感した福島県人として福島県に
できる事はないかとあの時以来模索しながら
取り組んでいます。防災対策や高齢者支援に
携わっていますが、十分に活動してるとは
とても言えません。
ただ、できることは一つずつ積み上げて
いって、福島県の為に役立てればなと
思っている今日この頃です。
福島県のスローガン「ひとつ、ひとつ、実現するふくしま」