受験生の親は,たいてい自分の子どもに大きな期待を抱いているばかりに,不安を感じる.
ときに,受験生本人よりもプレッシャーを感じているのではないだろうか.
気持ちは分からないではない.
自分の子だから思いは強いだろうし,周りと比べて自分の属するものは優っていてほしいだろう.
それは普通の感覚であると思う.

けれど,
その中でも
・そうは言えども,子ども本人の人生なのだから,これ以上は言ってはいけない
と決めているのだろうか,必要以上に助言しない親と

・子どもは子ども,自分が決めてあげなければ,本人は決められないのだ
と思っているのだろうか,気が付かずに何でもかんでもやってしまう親と

に分かれると思う.
それが何かというと.

後者の,決めてしまう親ほど醜いものはないと,現在のボクは思っている.
これから考え方は変わるかもしれないし,何が正解ということもないと思うので,現段階では.

せっかく,自分の子どもが何か言おうとしているのに,それを聞いてあげられないのである.
言い訳は簡単「うちの子はしゃべらないから」.
いや,あなたがいつも決めてしまうから,子どもが言う機会を失ってしまい恐縮しているだけだ.

せっかく,子どもが色々と自分の人生について悩んだり,考えを整理したり,目標を見つける絶好のチャンスなのに,自分の好みによって子どもの人生を決めてしまうのだ.
壁にぶち当たったときの解決策も提案されるのだから,自分で解決できなくなってしまうような気もする.
いや,私は違う.子どもの考えを尊重しながら,物事を進めている.という方もいるだろうし,本当にそれができている人も世の中に多くいるだろう.
ボクが見てきたなかで,全て押し付けてしまっている親は,大抵自分が押し付けてしまっていることに自分で気が付いていない.
むしろ,放任していると口からは出てくる可能性が大きい.

ぜひ,
サポート役に徹して,気合を入れすぎるのはやめたほうがイイと思う.
サンプルは少ないけれど,あまり良い結果はうまれないはずである.

ボク自身は放っておいてくれたことに感謝している.
放っておいてる親を見るとカッコイイ.それに親子の関係もすごく良いし,家族もうまくいっている.自分はそのようにありたいとさえ感じる.
特に,中学受験を控える親御さんは本当に大変だなーと感じた.
自分が決めてあげたほうが,ダンゼン楽だし,早く自分の不安も消すことができる.
それに小学生だと,親の言うことを素直に聞いてしまう.
それでも,
どこまで踏み込み,どこなら留まるべきなのか,冷静になって考えてみた方が得策であると思う.
あなたの子どもの人生なのだから.
ボクはあえて一生懸命に話をしようとはしない.

前にも書いたように,
ボクは人とのつながりをそれほど求めていない
(実際は羨んでいるのだけれど求めていないふりをしているといった方が正確か).

世の中には,話をすることが好きな人がいるもので,
その人は次から次へと話をする.
だから,ボクは聞き手に周るというか,その人がしゃべりたいだけしゃべってもらう.


先日,友人との会話で食い違ったことが,

・自分はあえて話をする奴ではない
ということは共通していた.

だが,

その理由が,
友人は
・目上の人がいると間違いを指摘してくることが面倒に感じて話ができない
ということだった.

自分は
・別にボクがしゃべらずともベラベラとしゃべる人はいるもので,その人に任せている
という考えだった.
仮に,集まりがあって誰もしゃべらなかったら,ボクがかなり話をする.
そのような時は,つまり仕事上では頑張って自分を偽り,ボクはしゃべる.

てっきり,その話をしている数分の間,理由が同じで一緒の話をしているのだ

思いながら話をしていた.

こんな些細なことで,あたかも気持ちも同じかのように感じていたのに,
これほどまで食い違った考えを持っていたのだな.
オモロイ
そう思って若干記憶に残っていた.

恐ろしや,人の考え.
口に出しても,そう簡単には伝わらず,
表現無ければ伝わらないどころか,誤解を生じてしまうのかな??

自分が分かっていることは,どう考えても自分の中では簡単で

自分が理解できていないことは,どう考えても自分の中では難しい.


大学受験の内容を考えると,
今となっては(忘れてしまったことは数多あるけれど)
内容自体は比較的簡単で,「おおむね教科書を読めばわかることだろ」
そう感じる.

けれど,
これも自分が通ってきた道の話で,過ぎ去った事だからこそ言えるのだろう.
自分が高校生だった頃,教科書にはかなり難解なことが書かれてあって
一体どうして,もっと分かりやすく書いてくれないのか,または解説,授業してくれないのか??
そう思っていたハズ.
当時の自分は自分なりに全力を出していたはずなのである.

今現在,自分の目の前に立ちはだかる壁は
まさにそれと同じようで,
一体どうしてこれほど頭に入らないのか
覚えられないのか,納得できないのか,解説できないのか,はっきりしないのか???
そのような具合である.

知っている事,知らない事
理解できた事,理解できない事
簡単な事,難しい事
それぞれに,どこかで臨界点のようなものがあるはずなのである.

かつて感じた高校の授業の難しさは,今は感じられぬ.
しかし,内容は変われど,習得すべくき事柄を習得できていない状態は現在再来している.


果たして自分はどのようにして前回の壁を乗り越えたのか?


現在持っているナゾの一つである.