愛に飢えた獣たち (2007) | 喜び怒り哀しみ楽しむ序破急。

愛に飢えた獣たち (2007)


愛に飢えた獣たち


しかし、その時は所用で遅れ(それも最終日最終回)、本編の前半30分を見逃してしまった。
作品本編では途中からの観賞の為に戸惑いもしたが、三坂知絵子さんの舞台「コンテナ」が、この作品世界を女性独自な感性で女性視点からテーマをまとめていた事に、甚く感動した事は記憶に新しい。

その上で当ブログに私的感想はUPしたが 、この度、やっとDVD作品として市場に出て来た。

実はこのDVDが発売されるに当たり、今年の1月下旬に池の上シネマボカンで越坂監督によるイベントが開催されている。
『「愛に飢えた獣たち」DVD発売記念新年会』と銘打ったこのイベントでは、公式な場所で公表する事が出来ないレアな作品の上映もあったりして、非常に面白い上映会イベントだったのだが、岩本・越坂両監督から面白い話が聞けた事は大変な収穫だった。

この作品は20年以上前に岩本監督にて書かれた脚本で、当時、岩本監督の手によって8mm作品として制作されていた事。

また、この作品の脚本がピンク映画やAV、アジアン映画として8回ほど過去に映像作品化されている事。

当イベントでは、そういう色々な裏話を聞きながら、そのオリジナルである8mm版を観賞する事も出来た。
かなり画質が劣化していたが、それでも楽しめる作品であったし、かなり貴重な体験をさせて頂いた。

このオリジナル版を観る事によって、この度、越坂監督の手によってリメイクされた今作がいかに良く出来ているか、何に拘っているかを、殊更に実感する事となる。

正直に言えば、実はオリジナル版観賞直後に、改めて越坂版の完成度の高さに言葉も出ないほど唸らされていた。

さて、いよいよDVDも発売され、見逃した前半30分も含め、やっと作品の全般を堪能する事が出来た。



勿論、事前に作品情報や作品背景を色々と知った上での観賞であるし、妙に思い入れを感じる作品であるから、そういうコンデションでの、様々な視点から、読み解いてみた作品感想である事をご了承下さい。

★★ネタバレご注意!!★★

今作品は1978年が舞台である。
劇場で今作を観賞した時には、その1978年という時代の描写表現に、今ひとつ納得出来ない自分がいた。
1978年と言えば、正にボクが高校生として生きていた時代である。
当時は、流行に今ほどの多様性は無かった。
誰もが同じ様な格好をしていた。
あの時代の独特な高校生ファッションやヘアスタイル。
そういう空気感を感じる事が出来ない映像に些かの落胆が有った事を否定出来ない。

ただ、現実にリアルタイムな時期に制作された8mm版を観ると、笑ってしまう程に時代が感じられてしまうのはリアルタイムだから当然なのであるが、どう考えても脚本の性格にそぐわない印象を受けざるを得なかったのだった。

それで理解出来た事は、この物語は1978年の時代考証に拘り過ぎると、説得力を失ってしまうという事だ。

1970年代という長いスパンでの時代性を総括した世界観が構築されている物語なのである。
この作品の「1978年」とは、70年代全体のメタファーと考えるべきなのだ。

いや、或いは、60年代後半から70年代前半に青春を謳歌した世代のクリエイターが、1978年に制作公開した青春映画な空気感…といった捻られた映像を狙ったのかも知れない。

梶原一騎・ながやす巧の劇画「愛と誠」が、長い連載の内に学生風俗のリアリティに追いつかなくなってしまった状況の頃の作品世界観の様だ…とでも言えるか
これは、当時の世相風俗描写と言うより、当時のコンテンツ内で描写された世相風俗描写の再現という効果を狙ったのだと思う事も出来る。

この作品は薄幸な女子高生の物語である。
二人っきりの家族である義父(オリジナルでは義兄)の強要で身体を売る事により、生計を支える特殊な運命に生きるヒロインである。
己のアイデンティティを喪失しかかりながら、必死に自分の足元を探る女子高生の物語である。

序盤、70年代の高校生カップルの普遍的恋愛青春映画の様相で進行しつつ、そのダークサイドを見せつけられた時に、この映画の最も面白く重要なテーマを理解出来るのだ。

青年がその事実を知った時、その行動と意識の推移は大した葛藤も見せず、当時の男子としては一見リアリティを喪失している様にも思えるが、現在の時代性で考えれば疑問も無く誰もが感情移入が出来るだろう。

そう、正に70年代を舞台とした現在の物語となっている。

このヒロインの迷い道に色々と先鞭を付けたくなる感覚は、こういう事情が決して珍しくなく、様々な解決法が開発されている21世紀の現在に観賞するからなんだろうな。
越坂監督はそれをさせないが為に、70年代の舞台を作り上げたのだと思う。

台詞の言い回しも、あえて古い言い回し(78年でもそんな言い方はしなかった/笑)をさせていて、この作品独自の世界に観賞者を引きずり込む為のシークエンスを所々に仕掛けている。

少なくとも、当初違和感を感じたボクですら、主人公を下から見上げるショットで、開放感溢れる透き通る様な青い空を見た瞬間に、この二人の世界観に感情移入出来てしまったのだ。
まさに青春映画の王道とも言える構図である。

そもそもこの作品の奥深く面白いところは、単純な悲恋物語ではない事が解る過程にこそある。

二人で逃避行したヒロインは現実の生活を思うとき、自分の足元を中々見つけられずにいる。
愛したと思っていた青年は、結局、自分の理解者では無かったのだ。
しかし、われら観賞者は青年の感傷も理解出来る。
愛し合う女性を、身体を重ねた瞬間から自分の所有物と思ってしまう、未熟者にありがちな勘違いを思い出させられる(笑)。

結局、ヒロインは生きる為にダークサイドな選択をしてしまうのは必然なのだ。
それは言い換えれば、ヒロインが一皮剥けて大人の女性として成長する瞬間を描いた物語であるとも言える。

アンダーグラウンドに生きざるを得ない一女子の、精神的孵化の瞬間を描く物語として、実は大変なリアリティを持つ作品であると思えてしまうのはボクだけだろうか?
男子が妄想する女子像が、後半、一気にリアルな女子像へ昇華する。
これは様々なメタファーを妄想する事も可能である。

この物語の持つ衝撃性は、映画という表現媒体に最も適した物語である事は間違いない。
邦画斜陽時代のピンク映画やATGが、低予算ながらも映像だからこそ訴求可能な物語表現を作り続けていたクリエイター魂が、ここに再現されている様に思う。

越坂監督は、観賞者の心理を計算し様々なシーンで仕掛を施している。
ワンシーンワンカットで表現される二人のシーン。
逆にアクションシーンでの細かいカット割りとショットの見事さ。
青年の心情を映しこむ様な鮮やかに透き通る青い空。
ヒロインのダークサイドは正攻法な構図から鮮やかなオレンジで映像は表現される。
その色調による心情表現がとてもボクの心に響いてくるのだ。

何より達者な演技陣の硬軟ある演技が無ければ成立しない作品である事は間違いない。

オリジナルの8mm版を観賞して、どうしても相対化して考えざるを得ないのだが、その完成された脚本を裏切らない様に見事に現代の映像作品として復活させている。

何の知識も持たずに純然と一ドラマとして観ても、観賞者の心に何らかの楔を打ち付ける作品になっているのではないか?。

蛇足ながら、個人的な考察を言わせていただければ、この作品世界は、当時は極めて特殊な世界観であったのだろうが、現在ではそれほど特殊とは言えない、社会問題の一提起である様に思う。
つまり、現代にこそ通じる物語であるという事だ。
脚本を再度解体し、2000年代後半の現在に置き換えて物語を改造構築し直したら、どんな作品になったのだろうか?

ガールズ・ムービーの制作を得意とする越坂監督なら、今の高校生のダークサイドをどういう風に表現するのか?とても興味のあるところだったりするのです。

越坂康史監督の次回作品を楽しみにしております。
今度はきっとバカ明るい作品になるんだろうなぁ(笑)

星星星星星