ロッキー・ザ・ファイナル (2007) | 喜び怒り哀しみ楽しむ序破急。

ロッキー・ザ・ファイナル (2007)

ロッキー・ザ・ファイナル (特別編)
¥3,000
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ロッキーの番外編と言いますか、ロッキーシリーズのファンの為のオマケと言いますか、スピンオフなロッキーの別の最終話と思って観てみた(笑)

期待していなかった分、中々面白かった。
中々面白いながら、何と言いますかとてもビミョーである。

最初のシーンでも、1ラウンドで秒殺する程に強いチャンピオンがなんであんなに世間に嫌われてるんだ?
挑戦者が弱いヤツばかりだから?
それにしても人気無さ過ぎて「????」じゃないか?
嫌われるチャンピオンの典型的な姿として、亀兄弟がモデルになってるのか?

ロッキーは老境に入っていて、完成された人間として登場。。
自分の経営するレストランで、客の為に客に乞われるままに昔の話を語って聞かせる。
こんな店があったら繁盛するだろうな(笑)

感傷的に再びボクシングに戻ろうとする気持ちの推移は丹念に描かれているし、戻っていく事情もご都合主義を感じないでもないけど、何とか上手く描かれている。
しかし、ボクシングのリングという危険な場所に、老境に入った過去のヒーローを再び立たせて良いのか?という客観的視点での葛藤がちゃんと描かれていない様に感じるのだ。

第一、危険を冒す程の切実でマストな事情が何も無い。
ただ単に過去の栄光と老境の夢、燻ぶった思いの完全燃焼という、極めて個人的感情の物語になってしまっている。

ロッキーの主観にこだわりすぎちゃいないだろうか?
ま、それがロッキーだ!と言ってしまえばそれまでなんだが(笑)

オヤジが息子を始めとする小僧ドモに対して、何かを知らしめる為に無謀な試合に臨むというサブテーマの部分が、坊さんの説教みたいな人生訓を散りばめながら無理矢理強引に物語を進めていく装置になっている。
そしてそれが時に、言い訳に聞こえてしまう。。
「若者に説教出来るほど完成された父親だが、幾つになっても挑戦しつづけるヒーロー」というキャラクターは、はたしてロッキー・バルボアに沿うものなのだろうか?

これって微妙に難しい。。

ま、「ロッキー」ファンの為のオマケ物語と思えばアリなんだけどねぇ。。

TV番組によるCGシミュレーションにしても、歴代チャンピオンは数多いるのになぜロッキーなんだ?
シチュエーションが作られすぎてる感じが何とも…

相変わらず、試合からラストに掛けては、とことん力が入っている。
試合の勝敗を聞かずに去るシーンなんてカッコ良過ぎだし、十分に快楽原則的に面白い。
そのシーンだけでも、十分に評価は出来るっつー事はボクも大賛成だ。

しかし、ロッキーの持つハードボイルド性、客観的なニヒリズムが完全に喪失してしまっている感じがして残念な気がするのです。。

ボクには「ロッキー5」のロッキーの方が、リアリティと親近感を感じてしまうんだよなぁ。。

このシリーズは「ロッキー3」で打ち止めにしておくべきだったと今でも思う。
100歩譲って「ロッキー5」で、終っておくべきだったのではないか?
ってか、燻ぶったまま市井の人間として世間に埋没してゆくロッキーで終るのは、あまりに可哀そうだから、伝説とも成り得る栄光ある最後のリングを舞台に終らせたかったという事なんだろうな。

シリーズファンとしては、その気持ちはとても良く理解出来る。
理解出来るが、気分は微妙だ。

しかしながら、これはこれで期待していなかった分、思った以上に面白かったです。
「ロッキー5」を再評価する事も出来たし。

まさか「ロッキー7」はないだろうな?(笑)
「ロッキー・ザ・ビギニング」とか「ヤング・ロッキー」とか…
いやいやまさかね(爆)
星星星星