つづきで~す



14:北天満山・小西行長 陣跡
小西隊は開戦を烽火をあげて味方に合図
決死に戦うも、大谷隊壊滅を受けて撤退




15:南天満山・宇喜多秀家 陣跡
西軍の主力部隊を率い、副総裁として参戦
開戦直後より攻め込まれ、激しい戦闘を繰り広げたそうです




16:平塚為広 碑
大谷吉継とは盟友関係にあり、病身の大谷吉継にかわり、大谷隊の指揮もしていたって




17:大谷吉継 墓
恐らく西軍一番人気の大谷吉継
三成への義を貫き、病の身でありながら小早川秀秋の裏切り軍勢を三度も押し返す働きを見せました
今でも吉継を慕う人が花を手向けています




18:大谷吉継 陣跡
小早川が裏切る、と感じていた吉継は即応出来るよう小早川の陣がよく見えるこの地に陣をしきました




番外:眺望地
正面が松尾山
ここから小早川を監視し、軍勢が攻め降りてくると迎撃
だが、小早川につづき脇坂隊ら4隊も寝返り側面より攻撃を受け大谷隊は壊滅、吉継も自刃しました




コースは新幹線高架をくぐります
合戦の後の世に、こんなものが走り出すなんて、誰が想像したかね




19:脇坂安治 陣跡
脇坂は賤ヶ岳の七本槍の一人
それがどうして…は、色々な事情があったのでござろう
小早川の寝返りに反応し、やはり東軍へ寝返り
徳川には寝返りを内通していたため、功労を認められたそうですが、共に寝返った3隊はそれがなかった為、改易されています




20:松尾山・小早川秀秋 陣跡
1万5千もの大軍を率いた秀秋は、弱冠19歳
徳川と内通するも、なかなか動けなかったようです

実際の陣跡は、松尾山の上の方です
登山道があるので登ってみよう




陣跡までは40分
ひいこら言いながら登っていくと…
お?あれかな?




ここが陣跡
鎧兜をつけ、ここまで登り降りしてた訳だ
体力すごいな




関ヶ原が一望できます
眼下で繰り広げた戦いは、東軍西軍の一進一退
寝返るべきか、家臣たちも賛否両論で秀秋も逡巡してたんだろうな
家康に催促弾を撃ち込まれ、ようやく寝返りを決め、大谷隊に襲いかかります
大軍が動いた事で、一気に東軍有利となり、戦いは決しました

いまのこの世は、小早川が裏切らなければ来なかったかも知れません
でもやっぱり報いというか…
秀秋は2年後に病没、家は断絶する事になります

松尾山はここまで
下山して街中に戻ります




21:福島正則 陣跡
開戦直後より、宇喜多隊と激しく争いました
東軍勝利の功労者の一人ですが、その後は不遇の人生を送り、信州で生涯を終えます




街中というか茶畑の中を歩きます
新緑が気持ちいいなぁ




次のポイントは中学校の中…
失礼しま~す




22:藤堂高虎・京極高知 陣跡
藤堂高虎は築城の名人としても知られてますね
藤堂、京極隊は東軍左翼第2陣として平塚為広と交戦
小早川隊と共に大谷隊を壊滅に追い込みました




23:西首塚
数多の英霊が眠ります




次は…
え?ひとんちですよ
入っていいの?




24:本多忠勝 陣跡
勇猛かつ知略を備えた名将です
島津隊と戦いました
忠勝自身、生涯で数十回槍を持ち戦闘に参加し、一度も負傷しなかったそうです
持ってる人、だったんですねぇ

これで全てのポイントを制覇
いや~歩きましたなぁ




駅前に戻ったのは14時半
5時間で帰ってきました

実際に歩いてみると、関ヶ原がどんなだったかよくわかったよ

天下分け目の合戦は、半日で終了
いまの世の中はこうやって作られているのですね

全ての戦死者に合掌




ちと歩き足りなかったので?
養老線で多度大社へ
境内の急坂を馬で上がる上げ馬神事が有名です




一番奥に本社
空気が違いますね
不思議なもんだ


これで関ヶ原の話はおしまい♪