最近、生活の中で

かの有名な、

「マキャベリ」

の名をよく耳にする。

本、ラジオ、何気ない会話。

そういう偶然というか、

機会の訪れは、

マキャベリの君主論を
再読する時期とチャンスが来たのだと
素直に受け取ってみる。

彼は、
ルネサンス期のフィレンツェの
思想家、作家、政治家(書記官・外交官)
(私が知ってるのはこれくらい。詳しい方、間違ってたらスミマセン)

大学を出ていないにも関わらず
29歳で外交官に抜擢

と言っても、マキャベリのお父様が
弁護士で、当時高価だった本をたくさん
持っていたので、

マキャベリは幼い頃から
良書をよく読み、
また、
のびのびと牧歌的な生活を送るなか
自ら進んでいろいろなことを
学んでいた。

マキャベリが
官僚生活のなか学んだことは

政治においては美徳の行使は役に立たないばかりか時には有害でさえあり、逆に,目的達成のためには道徳的に悪とされる手段であっても正当化される。

という現実主義的考え方で


マキャベリにとって、
変転つねなき現世を支配しているのは
気まぐれな運命の女神であり,
この運命の女神フォルトゥナ(fortuna)に対抗する人間の自由意思が強調される。

この人間の自由意思に基づく徳性こそ
ヴィルトゥ(virtu)とよばれるもので,
フォルトゥーナとは 人間をとりまく状況,あるいは時勢などを意味し,ヴィルトゥとは,フォルトゥナに対抗する人間の有能さあるいは意志力を意味する。

君主たるもの、
時の運を操る技量を持て、

というところでしょうか



マキャベリ語録

天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである

好機というものは、すぐさまつかまえないと逃げ去ってしまうものである

人のなす事業は、動機ではなく、結果から評価されるものである

謙譲の美徳を持ってすれば相手の尊大さに勝てると信ずる者は、誤りを犯す羽目に陥る

人間は、恐怖心からも、また、憎悪の心からも、過激になりうるものである

運は、制度を変える勇気を持たない者には、その裁定を変えようとはしないし、 天も、自ら破滅したいと思う者は、助けようとはしないし、助けられるものでは ないのである

人間というものは、往々にして小さな小鳥と同じように行動するものである。 つまり、眼前の獲物にだけ注意を奪われていて、鷹や鷲が頭上から襲いかかろうとしているのに気付かない、小鳥のように

人間というものは、困難が少しでも予想される事業には、常に反対するものである


偉人、賢人、

生きていると

こんなに素晴らしい人間がいるんだ!と

感動する機会が多々ありますが、

わたしにとっての

尊敬する人はたった一人で

この先いろいろなことを学んでも

どんな人に出会っても

きっと彼への尊敬のみただ増すばかり

そう信じて疑わない

そんな

馬鹿で拙い自分も

また嫌いじゃなかったり


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