■6日目



この日はまず甲子園球場へ行きました。

ふと見つけた路地裏のように



こちらは甲子園球場にあった彫刻。

ふと見つけた路地裏のように



僕は小学校の頃、地域の子供会でソフトボールをやっていて、

その頃の夢が「プロ野球選手」だったので、

甲子園に出ることも夢で、甲子園は一度は行ってみたいところでした。

もっと古さの残るイメージだったのですが、

新しくて、すごく整備されていて、それが意外な感じでしたね。

これから、甲子園中継を見る時は、

「ああ、あそこでやってるんやね」って画が浮かぶことでしょう。

もし、その「プロ野球選手」の夢をずっと追っていたのなら、

ここへ出ている人生もあったのかなぁ、と違う自分の人生も考えましたが、

きっと今いる自分がなりたかった自分なのだろうなぁと思いました。






甲子園球場を出て、次の目的地へ。

そこへの移動に利用したのが、この阪急電車。

とてもクラシックな外観で、シートも格調高い深緑のカラーで、

すごく気に入りました。電車代も安いですしね。

ふと見つけた路地裏のように






次に向かったのが、現在は武庫川女子大学の校舎として

利用されている甲子園会館(旧・甲子園ホテル)です。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



この甲子園会館のことを知ったのは、

僕の最も好きな建築家、フランク・ロイド・ライトのことを

ネットで調べていたのがきっかけでした。

ある方のブログに行き着き、そこにアップされていた画像を見て、

「何、これ!?ライト建築そっくりだ!!」と感動したのですが、

その画像というのが、この甲子園会館の画像でした。

調べてみると、ライトの弟子の遠藤新(あらた)の建築らしく、

これはこれで見てみたいなぁと思い、行ってみることにしました。

しかし、大学校舎という性質上、見学には予約が必要で、

しかも見学可能な日時も決まっているため、

僕はスケジュール的なことを考えて、その見学日時の中から

この8日(木)の13時半を選び、予約しました。



着いたのは12時45分。

僕が見たブログの方が、「大学の学食を食べた」と書かれていたので、

僕も食べたいなぁと思い、守衛さんに確認したらOKが出たため、

校舎の中に入れてもらい、特別に食べさせてもらえることになりました。

このオムライスのソースがオレンジ色で、それがとても甘くて美味しかったです。

ふと見つけた路地裏のように



13時半が近くなり、門の前の待ち合わせ場所には、すでに、

この甲子園会館のガイドを担当されている大学の方(60代くらいの男性)と、

見学希望のご夫婦が一組いらっしゃり、僕は急ぎ足でそこへ向かいました。

ガイドの時間は90分で、僕を含めた4人で一緒に館内を見て回りました。



甲子園会館について、少しご紹介したいと思います。

甲子園会館、元々はホテルでした。

その名も甲子園ホテル。1930年に甲子園ホテルは開業しました。

「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び評されました。

東京と阪神間で花開いたモダニズムの形。

六甲のお膝元、甲子園に建設された甲子園ホテルは、

街の真ん中にある帝国ホテルに比べると、自然に溢れた郊外型で、

リゾートホテルのような存在でもありました。

支配人・林愛作は、それまでの外国人宿泊客を意識して作られていた

ホテルのサービスというものに対して疑問を持ち、

日本人の宿泊客に気持ち良く泊まってもらえるように、

家庭的なおもてなしの心を大切にしたサービスを始めました。

当時、先駆的ではあったのですが、現在のホテルの在り方を見れば、

その原型を作ったと言っても過言ではないと思います。

結果、外国人だけではなく、多くの日本人宿泊客に支持され、

甲子園ホテルは大変な人気を誇ったのではありますが、

悲しいかな、戦局が深まった1944年、ホテルは閉業してしまいました。

以上、甲子園会館のご紹介でした。



続いて、館内の見学写真をご紹介します。



ロビー。光の入り込みを計算しているあたり、ライトの影響を感じます。

正午にはちょうど玄関に光が差し込むように設計されているようです。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



宴会場。

ふと見つけた路地裏のように



中庭から。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



いかがですか!?この建築、衝撃的ですよね。

石を積み上げた遺跡のような佇まい、幾何学的なフォルムや装飾、光の計算、

左右対称、有機的建築・・・と、ライトとの共通項が次々に見えてきます。

遠藤新がライトを尊敬していたことが、この建築から伝わってきますね。

僕はいつものごとく感動しっ放しで、ここへ来て良かったと思いました。

この甲子園会館で撮った写真は、まだまだありまして、

また別の記事にてご紹介したいと思います。




90分のガイドもあっという間に過ぎ、

僕はご夫婦と一緒に甲子園会館を出て、駅まで歩きました。

そのご夫婦はずっと建築関係の仕事をされていたようで、

現在も色々と建築物を見て回るのが好きだとおっしゃっていました。

僕がライトのファンだということを伝えると、ご夫婦が、

芦屋にある山邑(やまむら)邸はオススメですよ、と教えてくれました。

山邑邸は初耳でしたが、話によると、ライト建築の家らしいのです。

ぜひ見た方が良い、と言われたので、僕はそこへ明日行こうと決めました。

芦屋だったら、西宮から近いですし、行ける時に行っておかなければ、

次の機会にはもう行けないかもしれない、という考えもありました。

いやぁそれにしても、その方々と出会ったからこそ、僕は山邑邸を知り、

行くことになるのですから、出会いとは不思議で面白いものですね。






その後、宝塚まで阪急で移動し、手塚治虫記念館へと行きました。

ふと見つけた路地裏のように



手塚治虫が宝塚出身ということで、この宝塚に記念館が建てられているようです。

館内には手塚治虫にまつわる様々なものが展示されていました。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



手塚治虫は、宝塚で幼い頃に経験した自然との触れ合いが

自分の漫画人生にとって大きなベースとなっている、と語っていますが、

確かに宝塚という町は山間にあって、自然に恵まれた町だと思いました。

こういった自然との触れ合いから、あの想像力が育まれたのでしょうね。

面白いもの、珍しいものを見ることが出来て良かったです。






次に、宝塚を歩いて散策しました。

ふと見つけた路地裏のように



ちょうど、阪急電車が橋を渡っていました。

奥に見える建物が、あの有名な宝塚歌劇場です。

ふと見つけた路地裏のように



宝塚、と言えば、宝塚歌劇団。

街中がその存在に引っ張られるかのように、華やかで品のある感じがしました。

建物もそうですが、ここを歩いている人達も品を感じるような人ばかりでした。

花のみち、という道の沿道にはこのような歌劇団の彫刻が多くありました。

ふと見つけた路地裏のように



歌劇団のポスターを見掛けることも多かったです。

ポスターだけではなく実物、つまり歌劇団の方達を見掛けることもよくありました。

長身で、髪をオールバックにして、独特のメイクをし、ロングブーツを履いて、

颯爽と歩いている姿は一目見て、団員の女性だと分かりました。

普通に「そのまま」の姿で無防備に歩いているので、

危険な目に遭ったりしないのか、少し心配になりました。

ふと見つけた路地裏のように



宝塚歌劇場、入口。

ふと見つけた路地裏のように



高層マンション。

曲線がガウディ建築のカサ・ミラのようでトキメキました。

ふと見つけた路地裏のように



ヨーロッパを思わせるオシャレな町並み。

ふと見つけた路地裏のように



駅に隣接したショッピングセンターの内部。

ふと見つけた路地裏のように



駅前のモニュメント。さすがは歌劇の町。

ふと見つけた路地裏のように






この日は宝塚を出て、昨日泊まった西宮の旅館に再度宿泊。

色々と見たいものを見れ、楽しかったです。






以上が第3回となります。第4回へ続きます。