「こんなタコ焼きやったらどこでも食えるでぇ。タコ焼き屋として失格やねん。なんや東北のタコ焼きは美味しくないのぉ〜〜」

 

 

 

(うるせえなぁ、東北に粉もんの文化無いんだからしょうがねえだろ。まずもってタコ焼きっていつどのタイミングで食べる食べ物なんだよ)

 

 

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おはようござリシャす!

 

大阪に住もうとして、治安の悪さが想像を超えてきて移住を諦めたことがあります。

 

ただ、ミナミのアングラな雰囲気は大好きです。

 

 

どうも、クラブbreakのリシャール柊です。

 

 

先日、ホストクラブって誰がどう作ったんだという話になりまして、ちょっと調べてみました。

 

 

そこで今回は、皆さんがいつも身近に触れているものについて、それぞれの歴史を紹介してみたいと思います。

 

 

知っていることが多いというのはいつだって武器になりますので、ぜひ読んでみて下さい。

 

 

 

 

 

それではゆっくりしていってね!!

 

(↑著作権料払わないといけない?笑)

 

 

 

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【ホストクラブの歴史】

 

戦後、キャバレーと呼ばれるダンスの社交場があり、そこには女性ダンサーに混じって少ないながらも男性ダンサーがいた。

 

女性ダンサーは時給+歩合制、男性ダンサーは完全歩合制が主流で、もちろんほとんどの男性ダンサーの生活は厳しかったが、人気がある一部の男性ダンサーの生活には余裕があった。

 

それももちろん、キャバレーにおける男性からのチップではなく、女性からのチップによるものだった。

 

この歴史的背景が、のちのキャバレー調クラブ(現在でいうところのキャバクラ)・ホストクラブへと変貌を遂げていく。

 

ちなみに、ホストクラブの創始者は反社会的勢力に殺害されている。

しかしこの事件をきっかけに、ホストクラブと反社会的勢力との繋がりを無くす動きが強まり、現代ではほとんどそういったことは無くなり、皆がイメージするよりもホストクラブというものはクリーンになってきている。

 

 

 

【Ta・ko・ya・ki】

 

大阪に粉もんが多い理由は、戦後のアメリカ軍が小麦の供給の拠点を大阪に置いていたためで、戦前も小麦は大阪で流通が盛んに行われていたが、戦後の貧困も相まって、アレンジのしやすい粉もんが大阪では主食になるほど普及したと言われている。

 

 

 

 

【アメリカではお茶がマズイ。イギリスではコーヒーがマズイ。歴史的背景。】

 

1773年、ボストン茶会議において、イギリスはアメリカへの茶葉の輸出を完全に止め、制裁を加えた。

ここまでは中学生の教科書にも載っている。


ここからが歴史の真実で、

アメリカでお茶が流行り出していた頃、実はイギリスではコーヒーが流行り出していた。そしてコーヒー豆の主な輸入先は、そう、制裁を加えたアメリカだった。

 

そこでアメリカは、茶葉の輸入を止められた報復として、コーヒー豆の輸出を完全に止めた。

 

長く続くコーヒーとお茶による経済戦争は、のちに『お茶がマズイ国・アメリカ』そして『コーヒーがマズイ国・イギリス』を作り出す。

 

 

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「年齢は生きた年数は教えてくれても、どう生きたかは教えてくれない。どう生きたかの方が大事だ。」

byローランド

 

「年齢ってなんですか?」

byジローラモ

 

「ニンニク入れますか?」

by二郎

 

 

 

トリビアみたいなブログになっちゃいましたが、知っていても損はないような気がします。

 

まだまだ勉強して、色々な人と話ができるようにしたいと思った今日のリシャール柊でした。

 

 

 

人生オワタ(^o^)/とかいうやつに言いたい。

「まだ始まってネーヨ(^ー^)」

 

 

あリシャとうございました!

 

 

 

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リシャール柊のホスホス日記

第13話 

[Ta・ko・ya・ki] 完