http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141107-00000003-wordleaf-pol
文部科学省の有識者会議で提案されたL型大学とG型大学というキーワードをめぐってちょっとした騒動になっています。提案内容が、旧帝国大学と早慶といったいわゆる一流大学以外の大学は、アカデミックな教育をやめ、職業訓練に専念すべきという刺激的なものだったからです。
この提案を示したのは、経営共創基盤CEOの冨山和彦氏です。冨山氏は著名な経営コンサルタントで、産業再生機構のCOOを務めた人物としても知られています。冨山氏によれば、日本はグローバルに戦うごく一部の人材と、地域密着型の仕事に従事する多数の人材に二極分化しているとのことです。圧倒的に多数を占める、地域密着型の労働者の生産性を上げなければ、日本経済全体の底上げは難しいとして、一部の大学を除き、カリキュラムを職業訓練的なものに切り替えるべきだと主張したのです。いまの大学を、グローバル人材を育てる「G(グローバル)型大学」と、職業訓練校的な教育をほどこす「L(ローカル)型大学」とに分けて、教育しようというわけです。
具体的には、職業訓練大学の経営学部や経済学部では、難しい経済理論を教えるのではなく、会計の基本知識や弥生会計といった会計ソフトの使い方を学ばせることを想定しているようです。
当然といえば当然ですが、この提案に対しては賛否両論が出ています。肯定的な立場の人は、現在の大学教育があまりにもビジネスの現場から遠いことなどを引き合いに、就職に結びつきやすいカリキュラムにすることは学生にとってメリットがあると考えているようです。一方、否定的な人は、大学のカリキュラム分離が一種の階層の固定化につながる可能性があることや、実利ばかりが重視され教養が軽視されることなどを懸念しています。
これはあくまで冨山氏の提案で、具体的な議論はこれからなのですが、冨山氏が指摘する日本経済の状況とその対策は、かなり本質を突いたものであると考えられます。
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いやいやいやいや、むしろ最近の大学の職業訓練学校化、
大卒資格が就職に必要だからいく、みたいになってる風潮がおかしいと思うんだよな。
勉強、知識欲って~の為っていうよりもっと純粋なものであると思うんだよ。
「スクール」の語源は古代ギリシャの「スコレー」、暇からきてる。
古代ギリシャにおいて労働は奴隷の仕事、
貴族階級は生きる為の労働が必要ない、暇、余裕がある。
その暇な時間に教養高める為に勉強するか~ってのが始まりなのよね。
勉強とは各々の教養を高め人生を豊かにするものだと思うのよ。
それが目的化する流れはむしろ本来の意味から離れ悪い方に逆行してるような。
まぁ日本の近代の学校教育のテーマが欧米に追い付け追い越せ、
その為には教養だけの教育じゃなく実践的学問、実学が重要だ~って感じだったようだからねぇ。
「学問のすすめ」にもそんな記述があった。
そういう流れだからどうしても学問のベースに実学を求めてしまうのかしらね。
職業訓練をメインとするなら大学じゃなくて専門学校じゃんね、と思うわけです。
職業訓練、就職斡旋所化してる大学なんぞつぶれてしまえ、と個人的には思っています。
詰め込み教育の批判じゃなくて学ぶということは何なのか、生きるとは何なのかってことを考える、
問いかけることが大事なんじゃないかと感じます。
これに関しては学校側の問題じゃなく企業側の文化の問題があるから難しいよねぇ。
ユニクロのユニークな採用とかも入学してすぐ学生囲い込む、
つまり大卒資格有りになるであろう人材を最速で確保してるだけだし。
その学生が何を学びどうなるかは重要じゃないような。
企業にとっての大卒資格ってなんなんでしょう。