さて、暫くぶりに立命館の先輩としての中原中也(1907-1937)について。
中原中也の詩に”お天気の日の海の沖では”、と言う作品があります。数ある彼の詩の中でこの詩ほど中原中也の心を素直に表現しているものは無いのではないかと私は思っています。悲しい気分で先のことを思い、人間の限界を思うとこの様な心境になるのかも知れないと思える詩です。この様な詩を作った時の中原中也の心境はどの様なものであったろうかと思いを馳せる内容になっています。
以下に全文を引用してみます。

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お天気の日の海の沖では
子供が大勢遊んでゐるやうです
お天気の日の海をみてると
女が恋しくなって来ます

女が恋しくなるともう浜辺に立ってはゐられません
女が恋しくなると人は日蔭に帰って来ます
日陰に帰って来ると案外又つまらないものです
それで人はまた浜辺に出て行きます

それなのに人は大部分日蔭に暮します
何かしようと毎日々々
人は希望や企画に燃えます

さうして働いた幾年かの後《のち》に、
人は死んでゆくんですけれど、
死ぬ時思い出すことは、多分はお天気の日の海のことです
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中原中也は、人生を俯瞰して、おそらくこんなものであろうと思って、その気持を歌ったことでしょう。根底には不幸で満たされない、孤独で諸行無常を感じている寂しい魂が感じられます。若いのに、そこまで思いつめなくても良いであろうに、と思える様な悲しい内容に仕上がっています。
事実、中原中也は長男を2歳で失い、その後精神が不安定になり、長男の夭逝の次の年に本人が逝去、そして翌年には次男が夭逝と立て続けに不幸に見舞われました。
そんな事実を思いながらこの詩を眺めると胸が締め付けられそうになります。
中原中也先輩はどんな思いで生きたのかを思うと、後輩はしっかり生きなくてはと思わせられます。

立原道夫
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