今日はおばあちゃんの命日。
2年前の今日亡くなった父方の祖母。
あの日は本当に慌しかったな…
いつか来る日とわかっていても、あまりにも突然で苦しくて辛かった。
最後に会った日、両親と私と4人で食事したんだけどね。
別れた後も、偶然いろんな場所で再会するもんだから不思議で仕方なかったんだけど、こういう事だったのかって思った。虫の知らせって本当にあるんだなあと思ったよ。
しばらくの間、家族共々情緒不安定だったけど、不思議と乗り越えられるものなんだよね。
今でも似た後姿の人を見かけるとドキっとするけど、良い思い出ばっかり思い出せるようになった。
パソコンのフォルダ整理してたら、2009年の1月に書いた文章が出てきた。
ブログやミクシィに載せるでもなく、当時の気持ちを書き殴ったものでけっこうリアル。
今なら客観的に読める。
かなり思いつめてるけど、当時の気持ちをよく書けてると思うのでここに載せておこう。
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昨年末に祖母が他界しました。
あまりに突然過ぎて、未だに現実を受け入れられてないうちの家族。
亡くなるその日まで元気だったおばあちゃん。
急性心不全で、最期を見届けてあげる事も出来なかった。
私よりも体力があって、うちの4階の店にも息を切らす事なく上がってきては娘や孫達の家を毎日のように行き来してた元気なおばあちゃんしか私は覚えてない。
お葬式も何もかもが夢のように過ぎ去って、いつもと同じ生活がまた始まって。
でもその生活の中に、当たり前にいたはずのおばあちゃんの姿がもうないって思い出す瞬間、苦しくてどうしようもない気持ちになる。
同時に、人の時間には限りがあるってことを思い知らされたようで、両親や自分の人生に対してまで漠然とした不安が襲ってくる。夜に何度も目が覚めたり、家族と少し離れてるだけでも変に心配になったり。
こんな苦しい思いをするのはイヤだから、一生懸命別の事考えてるのに、一日の終わりには必ずここに戻ってきちゃうんだよね…気持ちの一部を抑え込んで見て見ぬフリして生活しても、胸騒ぎは止まらなくて。
早く笑って思い出せる日が来ないかって願う反面、胸が痛むのはその人を想う証なのにそれをすぐに無くしてもいいの?って思う自分もいて。
忘れなきゃ生きていけないっていうけど、忘れてく自分も忘れようとする自分も許せない気持ちがあるんだって初めてわかった。
こんなんじゃ八方塞がりだよ。
全ての人が通る道とはいえ、こんなにも複雑で辛いものだったんだね。
でも、最近になって思えるようになったんだけど…
今どんなに辛くてもこの気持ちはそんなに長くは続かない。
兄が結婚して家族が増えて、仕事が忙しくなって、おばあちゃんの居た場所がこの先起こる別の出来事にどんどん埋められていくんだと思う。
今の時点で想像すると悲しいけど、きっとどうしようもない現実。
だからせめて、胸が痛むこの期間だけは、どんなに辛くても泣けてきても思い出してあげるべきなのかもしれないね。気持ちにフタをしている限りはいつまで経っても前に進めないのかもしれない。
毎週金曜日の4時過ぎは、おばあちゃんがお店にコーヒーを飲みに来てくれた。
胸のつかえを感じないで金曜日を迎えられる日が来たら、その時はおばあちゃんを安心させてあげられる日が来たんだって、喜んで受け入れようって決めたよ。
そんなわけで。
いろいろ書いたらちょっとスッキリしたかもー。
書き出してみて気付く事ってけっこうあるんだなあ。
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