神亀山

(しんきさん)

新田神社の周辺は、

その形から神亀山と呼ばれており、

「可愛山陵・中陵・端陵」

という3つの古墳が集まっています。


※画像はお借りしています。

南から望むと、

可愛山稜は甲羅に、

中陵が首、

端陵を頭部とした亀のように、

見えることから、

神亀山と呼ばれています。

 

可愛陵社

(えのみささぎしゃ)


御祭神

邇邇杵尊

(ににぎのみこと)


新田神社の本殿裏手に、
可愛山陵があります。

見えてきましたキラキラ

邇邇杵尊の御陵になります。



明治7年、

可愛山陵指定により創建され、

新田神社の境内社となりましたが、

大正3年に、

宮内省の管轄となりました。


日本書紀では、

筑紫日向可愛山陵

(ちくしのひむかえのみささぎ)

の名前で登場します。


ここまでは何度も行ったことあるけど、


中陵

(なかのりょう)

端陵

(はしのりょう)

こちらには行ったことがなかったのです。


今回の帰省初日、

帰宅途中の雨降る中を、

神亀山の頭部を目指しました。


ここからは初の参拝となります神社


中陵神社

(なかのみささぎじんじゃ)


御祭神

火闌降命

(ほのすそりのみこと)



古事記では、

「ホデリノミコト」

日本書記では、

「ホスセリノミコト」と呼ばれています。


海彦山彦の海幸彦であり、

隼人族の始祖とも云われています。



可愛山陵と端陵の中間に位置し、

神亀山の首部分に鎮座します。



誰もいないひっそりとした参道キラキラ

一歩一歩を、

踏みしめるように歩きました。



邇邇杵尊の皇子である、

火闌降命の御陵と伝わります。



現地路査が行なわれた際に、

略測ながら直径22mの、

円墳の可能性があるとされています。



かつて石棺が発見された際に、

石棺の蓋石を引き開いたところ、

中から白煙が噴出し、

石棺内部は青赤い色であったという

逸話が残っており、

土地の人から恐れられたそうです。



次はいよいよ、

咲くや姫のもとへと向かいます!!


端陵神社

(はしのみささぎじんじゃ)


御祭神

木花開耶姫尊

(このはなさくやひめのみこと)



邇邇杵尊の妻である、

木花開耶姫尊のお墓とされています。



神亀山の頭部部分に鎮座します。



ひっそりと鎮まる参道は、
まるで別世界にいるような感覚で、
厳かなる気持ちの中に、
ときめきすら感じられるようでした。


1987年に測量された結果、

山の稜線を利用した全長54m

前方後円墳と判明しました。



邇邇杵尊の妃神の御陵と伝わるので、

御前様陵

(ごぜんさまのみささぎ)

とも呼ばれるそうです。



こちらが石と思われます。


木花開耶姫の本名は

神阿多都比売

(かむあたつひめ)


阿多国の姫さまですから、

ここに咲くや姫が眠られているのは、

何の不思議もなく、

自然に受け入れられる気がします。



ジッと見つめていたらびっくり
雨の中を何方かが、
すぐそこに立たれているような、
よく分かんないんだけど、
そんな気がしてならなかったのです。

もしや、咲くや姫さまか??

ずっと行きたいと思って、
ようやく叶った参拝だから、
喜んでいただいたのかもしれない。

霊感も何もないオレだから、
もう都合よく考えるしかないよねウインク

神気に満ちたというのは、
こういう感覚なのかもしれません。

震えるくらいの感動と、
感謝に満ちた、
有り難き参拝となりましたお願い


ご覧いただきありがとうございます!!

 



にほんブログ村 にほんブログ村へ