久しぶりに、昨日から朝の通勤時に新約聖書を読み出しました。すぐに次の聖句に目が止まりました。
 
◯マタイによる福音書 第2章第1〜2節
 
1. 「東方」とは
  まず気になったのは、「東方」とはどこなのか?ということです。おそらく多くの方が漠然と「東の方の国かな」と読み流しておられるのではないでしょうか。私は、今回それが気になり、調べてみました。
 ネットを調べると「東方」とは本来は「日出る所」が直訳らしいです。なんと、であれば、それは「日本」です。
 
 is6689ブログでも引用されていますが、「日出処の天子、日没する処の天子に書を致す。恙無きや。」というのが607年の隋への国書です。日出処の天子=聖徳太子です。日没する処の天子=隋の皇帝です。
 
 また、608年隋への国書に「東の天皇、つつしんで西の皇帝に申す」ともあります。「天皇=推古天皇=主なる母なる神様」ですから、「天子」と「天皇」がおられる「日出処」です。
 
 従って、「日出処」とは「日本」以外にありません。
 
2.なぜユダヤの王を拝みに来たのか?
 まず、イエスを拝みに来た「三博士」ですが、こちらもネットで調べてみると、日本語の訳では「博士」と訳されているが、ヨーロッパでは「王」と訳されることが多いとのこと。本来はその意味なのではないでしょうか。
 では、「東方の王」は、なぜはるばる中東までユダヤの王を拝みに来たのでしょうか?
 
 それは、「ユダヤの王=救世主」との信仰を持った国であったか、同じ「ユダヤ人」であったかしか考えられないのではないでしょうか。
 
 前者であれば、「ユダヤの王=救世主」との信仰を持った国が、東方や日本付近にあったとは歴史的に聞いたことはありません。
 とすると、同じ信仰の「ユダヤ人」が東方におり、わざわざ「ユダヤ人の王たる救世主イエス」を拝みに来たと考えるのが自然ではないかと思います。
 
 つまり、これらを合わせると「日出るところ=日本」「ユダヤ人」がいたと言えるのではないでしょうか。
 
 天子と私は、紀元前586年のユダ王国の滅亡の前、ユダ王の宗家がアジアへ先祖返りで戻ってきたと考えています。それと符合します。
 
 聖書の聖句すべてが、神の栄光の顕れです。
 
祭司エノクーアロンの子孫
藤原朝臣太郎道人