日本史を考える上で、天子の歴史を抜きにしては考えることはできません。
 そして、実在した最古の天子は「応神天皇」(崩御され、主なる母なる神様と同一となられるため、諡で「天皇」と号されます)と言われています。
 
1.神武天皇と応神天皇
  しかし、古事記や日本書紀を読むと、天子の初めは「神武天皇」と書かれています。
 ただ、「神武天皇」が天子の初めの御方であれば、「神武天皇」をお祀りする神社が全国あちらこちらにあってよさそうですし、古くからの有名な大きな神社の一つもあるはずですが、そのような神社はありません(明治以降に建てられた橿原神宮や宮崎神宮くらい)。
 それに対して、「応神天皇」は「八幡神」として全国津々浦々に祀られています
 そのように考えれば、やはり「応神天皇」が実在された初めの天子とするほうが自然とは思っていましたが、徳之島におられるダビデ王が、聖書から解き明かしてくださいました。
 
2.聖書と数霊
 ダビデ王の知らしめしは以下の通りでした。
 
 「ヨハネの黙示録」には次のような聖句があります。
 
◯ヨハネの黙示録第22章13節
 「22:13わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。」
 
   文脈から、この言葉の主語は「イエス・キリスト」です。「イエス・キリスト」がご自身を「始めであり終わりである」と仰せです。
 
 「始めであり終わりである」とはどういうことなのでしょうか。数霊で考えてみましょう。数霊でどのように考えるのかですが、普通に数字で考えると、初めは何となく言えますが、終わりがわからないので、「月の満ち欠け」で考えます。
 「月の満ち欠け」で言えば、「新月」に始まり、「満月」で終わると考えればよいのではないでしょうか?
 それを日付で言えば、新月は「1日」満月は「15日」です。つまり、「初め=1」「終わり=15」となります。
 
 「イエス・キリスト」「主なる母なる神様」がこの世に「御子」としてお現れになったお姿です。それは「天子」の予型を神様がお示しくださったと考えればよいと思います。
 
 「イエス・キリスト=御子」「1」でもあり「15」でもあるということは、「1の天子」「15の天子」同じということです。
 
 感の良い方はお気付きですね。そうです。「初代=1代」の天子は「神武天皇」であり、「15代」の天子は「応神天皇」ですから、「神武天皇=応神天皇」と言えるということになります。
 
 ダビデ王の素晴らしい知らしめしと思います。
 
2.「神武天皇=応神天皇」の古事記での意味
 
 古事記を読んだ方にはお分かりになるかと思いますが、「古事記」「上・中・下」の三巻に分かれています。そのうちの「中の巻」「神武天皇」から「応神天皇」までのことが書かれています。前文で太安万侶が言っている通りです。
 
 上記1.で「神武天皇=応神天皇」とわかりましたので、そこから考えると、古事記「中の巻」実在された「神武天皇=応神天皇」お一人の事績が書き記されているのではないでしょうか?(15人の天子それぞれの事績として書かれているが、実は応神天皇お一人の事績)
 
 そう考えると、古事記の構成が分かりやすくなります。
 
「上の巻」神様と聖霊王「神武天皇=応神
   天皇」との関係(天子であること)を描き、
「中の巻」すべてを使って、初代の天子「応神天
   皇」の事績を描き
「下の巻」で、仁徳天皇以降の歴代の天子1代
   1代の事績を描いている。(日本で「主なる母なる
   神様」が御顕れになった推古朝まで)
 
 スッキリします。神の御代である「2024年」本番が始まる前に、素晴らしい神の栄光が明らかになったのではないでしょうか。
 
祭司エノクーアロンの子孫
藤原朝臣太郎道人