昨日は「十六夜の月」でした。一昨日の9月10日は「中秋の名月」でしたが、残念ながら私は仰ぎ見ることができませんでした。「十六夜の月」は仰ぎ見ることができました。
 
 「なぜだろうか?」と思いが走りました。「まだ、そのときではないのか」と思いました。「15=満月」「主なるイエス・キリスト」を象徴します。以前よりお伝えしていますが、
 
   御降誕の日:ユダヤ暦7月15日
    御崩御の日:ユダヤ暦1月15日
 
ユダヤ暦も旧暦と同じく、月で暦を読みますので、どちらも「満月」日となります。
 
 このようなことを考えていて、ふと気になったのは、藤原道長の「この世をばわがよとぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」の歌でした。この歌に関する検証は、本ブログの2018年11月23日記事 にて行っていました。
 
 ここで、またふと気になりました。「藤原道長はこの歌を満月ではなく、十六夜の月を目にして詠んでいるのではないか?」
 
 当時の新聞記事にも書かれいてますし、ネットを調べても書かれいてますが、藤原実資の日記『小右記』の寛仁2年(1018年)10月16日の条に書き留められています。旧暦は15日が満月ですから、やはり十六夜の月を見ながらの歌と考えられます。
 
 藤原鎌足の薨去日は「旧暦10月16日」であることは、上記記事でも書きましたが、実は私の誕生日10月22日は旧暦に直すと、「9月16日」となります。「16」は藤原氏を象徴する数霊でもあるのかもしれません。
 
 「十六夜の月」は「藤原氏の月」を象徴しているのではないでしょうか。道長の歌の真意は先のブログで検証しています。「15日」ではなく「16日」に歌を詠んでいるところから、「ダビデ=主なる母なる神様の長子=数霊15」ではなく、「アロン」であると、その不可逆性をわきまえていると考えます。
 
 下の写真は、昨日の「十六夜の月」の写真です。
 
 
 
 
 
 私は「アロン」としての位置づけをわきまえて、主を仰ぎ見なければならないということだと思いました。
 よく見てください。月の左上に小さな光点が見えます。調べたところ、これは「木星」です。かなり明るかったです。こんなに接近しているのを見るのは初めてです。私は詳しくないのですが、かなり霊的な現象なのだと思います。
 
祭司エノクーアロンの子孫
藤原朝臣太郎道人