徳之島におられる復活された「万世一系の天皇家ダビデ王の勝信貴先生」が、ご自身のブログ「is6689ブログ」で、「エノク」について知らしめしされました。
果たして、このことを通して、主なる母なる神様は何を我々にお示しなのでしょうか。
1. 創世記における「エノク」
「創世記5章22節」にあるように、「エノク」は「神とともに300年歩まれた」方です。勝先生がブログで書かれているように、「エノク」は他の人とは違い死んでいません。上記聖句にも「死んだ」との記載はなく、「神が取られた」とあります。
ネットを調べると、聖書において「死んだとの記述がない」のは、この「エノク」と「エリヤ」だけのようです。「エリヤ」については、次のように「列王記」に書かれています。
〇 列王記下第2章第11節
「エリヤ」は嵐の中を「天に上って行った」とあります。「死」とは書いてありません。
この二人は、「神の御心」に沿って生きた神聖な人であることから、「肉体的な死」がなく、「神」がお取りになったとだけ、示されているのだと思います。
2. 「エノク」の預言
(1) 「ユダの手紙」における「エノク」
is6689ブログでも知らしめしされているように、「エノク」は「アダム」の「7」代目の子孫です。
「数霊7」は「新約の神=主なる母なる神様」を象徴する神聖な数字であり、それだけで「エノク」の神聖性を示していると書いてあるネット上のページもありました。私もそう思います。
実は聖書にもう一か所「エノク」について書かれている聖句があります。「ユダの手紙」です。次のようにあります。
〇 ユダの手紙第14~15節
「エノク」の「預言」があるとのことです。私も、一度読んでいるはずなのですが、初めて認識しました。今がその時ということでしょうか。
(2) ダビデ王の知らしめしとの繋がり
今この時、何故「ダビデ王勝先生」から「エノク」の知らしめしがあったのか、その意味を考えてみました。我々は考える必要があるかと思います。
これはまさに「ユダの手紙」の中にある「エノクの預言」が成就しようとしているのではないのでしょうか。「主は数知れない聖なるものたちを引き連れてくる。」そして「それは、すべての人を裁くため、また不信心な生き方をした者たちのすべての不信心な行い、および、不信心な罪人が主に対して口にしたすべての暴言について皆を責めるためである。」ということです。
「主なる母なる神様」は「不信心な罪人」を「裁き」に来られるのです。今世界は、「新型コロナ」の感染が広がり「パンデミック」になっています。これは「不信心な人への裁き」の準備・始まりと私は感じています。
世界では、どれだけ感染者が広がっていても、神の御許に帰ろうとするものが非常に少ないです。ダビデ王の先のブログは、神様の最後通告のような気がしてなりません(ダビデ王がその趣旨で書かれていないだけ尚更そう感じます)。
もう一度申し上げる。私自身の自戒も含めて、心から悔い改めて、神様の御許に帰りましょう。南無八幡大菩薩。
祭司
藤原朝臣太郎道人