昨日、本ブログに朋友の方がコメントをしてくれて内容から、私の先祖である「俵藤太秀郷(藤原秀郷)」と「桔梗紋」の繋がりについて、考えてみました。(写真はネットから拝借しました)


1. 「御伽草子」の「俵藤太秀郷」

   「俵藤太秀郷」の逸話として有名なものは、
「三上山の百足退治」「平将門追討」です。

   
「御伽草子」によれば、「三上山」には山を七巻き半するほどの「百足」がおり、それが琵琶湖に住む龍神を悩ましていました。ある時、龍女が藤太のもとに現れて、百足退治を依頼します。藤太は見事に百足を退治し、龍女に龍宮に招かれて、龍神から「黄金札の鎧」、「黄金の太刀」と「赤銅の鐘」などをいただいたようです。

   さらに、反乱を起こした「平将門」を討つときの話ですが、平将門には影武者が6人いて、その見分け方がわからなかったようです。そこで、藤太は将門の愛妾である
「小宰相」に、次のような話を聞きます。

    「小宰相、「さては未だ知り召さずや、殿は世の常に越え、御形は一人なれども、御影の六体まします故に、人目には七人に見え給ふなり」。藤太奇異の思ひをなし、「さて御本体とは御見分けのところ候や」と問はれて、女房、「人に決して語らぬ事なれども、御身なれば申すなり、うつかり、他人に漏し給ふなよ、かの将門は御形七人にて、御振舞かはる事なしと雖も、本体には日に向ひ、燈火に向ふ時、御影映り給ふ、六体には影なし、さて又御身体悉く黄金なりと雖も、御耳の側に、こめかみといふ所こそ、肉身なり」

   この話によって、藤太は見事に平将門を討っています。このときのことを「御伽草子」は次のように書いています。

   「そもそも俵藤太秀郷の、将門を打ち滅し、東国に威勢を施し給ふこと、偏に龍神の擁護し給ふなるべし。」

   藤太は
「龍神=主なる母なる神様」の擁護によって、「平将門を討つ=仮装天皇家を守った(万世一系の天皇家を守るため)」ということです。

2. 「桔梗の前」の伝承

   実は、最近昔の大河ドラマ
「風と雲と虹と」のYouTubeが気になり、見ていたところ「桔梗」という人が出てきました。ネットで調べるとこの方が藤太に将門の見分け方を密告するようです。「御伽草子」における「小宰相」が「桔梗」にあたるようです。

   上記から、
「龍神様」の擁護が「桔梗」と置き換えることができるのではないでしょうか。ここで私はふと思いました。藤太は「龍神様」から「桔梗」を与えられたのではないか。と。つまり、「藤太=藤原家嫡流」はこの時を契機に「桔梗紋」を使うようになった、いや「龍神様=主なる母なる神様」から授けられたのではないでしょうか。

   藤原家の家紋は「下り藤」に思われがちですが、私の家は
「丸に桔梗」の家紋の家です。「桔梗紋」のほうが、より「龍神様」のお導きを受けた家なのではないかと思います。

 

祭司
藤原朝臣道人