ユダヤ暦5779年6月末、ユダヤ暦では大晦日にあたる9月28日~29日、神のお導きをいただき、「龍神温泉」へ行ってきました。

1. 「龍神温泉」の歴史について
 
 昨年から、よく地震が起こっていて気になる地でしたが、テレビでお宿の特集していて気に入り、行ってみることにしました。

 「龍神温泉」は約1300年前に、
役小角が開き、その後、難陀龍王の御告げにより、弘法大師空海が開湯したと伝わります。「難陀龍王」は「八大龍王」の一に当たる御方であり、そのため、「龍神」の名が冠された温泉となったようです。

 これまで、縁がなく行ったことがありませんでしたが、
「役行者」も「弘法大師空海」も「聖霊」を授かった人であることは、本ブログでお伝えしてきましたし、「聖霊」を授けられるのは、「母なる神キリスト様」ですから、やはり神のお導きの展開から、「龍神=母なる神キリスト様」の地を訪ねてみるようにとの御示しと感じました。

2. 「龍神温泉」への訪問

 9月28日の夕方に龍神村に入りました。この日は雨が降ったり止んだりで、「龍神様のお導きだな」と一人思っていました。
 事前に調べていて、
「皆瀬神社」という神社があることがわかり、9月29日新月ユダヤ暦5779年6月29日、我らイスラエルにとっての大晦日に参拝しました。

  「皆瀬神社」は、長禄2(1458)年、
龍神正直が勧請し、文明年間(1469―1486)正直の世継に当る正氏により社殿が造営せられたとのことでした。

 



 



 とても荘厳な気のする神社でした。
「父なる神様」と「母なる神キリスト様」の「二にして一の神様」のお導きに、心からの感謝を捧げました。

 この「皆瀬神社」の御祭神は
「八幡大明神」であり、また「天児屋根命」もお祭りされていました。「八幡大明神=三位一体の神様」ですから、「龍神」の地の神社として、まさにという感じでしたが、私の先祖の「天児屋根命」がお祭りされていることは意外でした。

 では、この「皆瀬神社」を勧請した「龍神氏」とはどのような一族だったのでしょうか。調べてみると、
「源頼政」の子孫であることがわかりました。平安時代「以仁王」と共に「平家追討」の旗を揚げた歴史上有名な方です。

 この方をこれまで気にしたこおがなかったのですが、実は
「源頼光」の子孫であったことがわかりました。つまり、「万世一系の天皇家」に最も近い家です。だから、「皆瀬神社」は「八幡大明神」をお祭りされたのだと思います。
 また、「源頼光」の家は、私の家と共に「桔梗」という「五弁」の家紋の家と考えられます(同じ頼光の子孫の「土岐源氏」の明智光秀が「桔梗紋」であることは有名)。だから、「天児屋根命」をもお祭りされたのかと感じました。

3. 「ユダヤ暦」正月1日

 神様は聖書で、我々イスラエルに対して、次のように仰せです。

○ レビ記第23章23~25節

 「23:23主はまたモーセに言われた、 」
 「23:24「イスラエルの人々に言いなさい、『第七の月の一日は安息の日とし、ラッパを吹き鳴らして記念する聖会としなければならない。」
 「23:25どのような労働もしてはならない。しかし、主に火祭をささげなければならない』」。」


 先日ユダヤ暦「6月24日」の日、徳之島伊仙町にマグニチュード「3.6」の地震が起こり、その地震から、
ダビデ王勝先生を通して、「母なる神キリスト様の救い」の始まりをお伝えしました。その始まりは具体的には、地震から1週間経った、この「ユダヤ暦5780年7月1日」からと思います。そのことは数霊で御示しくださっています。

 この真正イスラエルにとって新しい年の年数の数霊「5780」は
「5+7+8+0=20」です。「20=並び立つことのない方=神様」です。また、「57」と「80」に分けて考えます。「57÷3=19」です。「19=救世主」です。さらに「80」を3で割ってびっくりしました。「80÷3÷3=8.8888…」となります。「8=永遠=神様」です。また、この「8」が永遠に続くのです。神の時代の幕分けの年と信じます。

 

藤原道人