「犬田布岳」の線刻画について、先のブログで写真を掲載しましたが、そのうちの「赤い石」について、色々とネットを調べている中で、「犬田布岳」のものとははっきり言えないことがわかりました。
 しかし、実際に「犬田布岳」の山頂にある「線刻画」の拓本を撮る作業をされている写真が掲載されていました。こちらの写真の方がより確実と思います。その写真から「石」の写真を拝借しました。

 前回掲載した写真の左側の画像が恐らく、この石の「拓本」を取った画像と考えられます。


 厳密な画像の理解・説明ができておらず、申し訳ありません。ダビデ王と私とで実際に「犬田布岳」に登って確認せよとのお示しかもしれないと考えています。

 先の拓本を取る作業の写真に写っている「石」には、やはり「Y」が刻まれていました

 「Y=ヨシュア」です。「ヨシュア」とは「イエス」のヘブライ語読みです。
 「犬田布岳」は「ヨシュア」の山でいらっしゃることは確実だと思います。それは「エデン」であり「蓬莱山」です。

 また、4本の深い谷川(西から阿権川、鹿浦川、面縄川、本川)により切り分けられた「伊仙町」は最近になるまで、厳密に言えば、ダビデ王が島に帰られるまで、それぞれの地域を繋ぐ橋がなかったとのことです。従って、川で区切られた地域から別の地域への移動は非常に困難だったとのことです。それは、逆にいうと攻めにくい「要害の地」であったと言えます。さらに言えば、だからこそ「シオン」つまり「神の御住まい」と言えます。


藤原道人