ダビデ大王=万世一系の天皇にいただいたコメントから気付きをいただきましたので、お伝えします。
 
1. 「17は正義=主イエス・キリスト」であるということ
 
 「17」とは正義を意味する数霊であり、そして「正義」とは「神の御言葉が成就し、神の栄光が明らかになる」こととお伝えしてきました。
 
 それは、さらには「主イエス・キリスト」を明らかにすることであるとの気付きをいただきました。なぜなら、「主イエス・キリスト」こそが、「神の栄光の現れ」だからです。私は今日、次の二つの聖句に気付きをいただきました。
 
○ コリント人への手紙Ⅱ第4章6節
 
 「『光が、闇の中から輝き出よ』と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです」
 
○ ヘブル人への手紙第1章3節
 
  「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます」
 
 私は昨日まで、「神の栄光=主イエス・キリスト」と明確に繋げて考えられておりませんでした。神のお導きです。
 
2. 「17」の気付き
 
 ダビデ大王が仰る「17は正義=主イエス・キリスト、18はキリストが復活した日の数字」というコメントから、逆に「17」を見つけることは、「主イエス・キリスト」を発見することでもあると考えます。
 
 私は、今日更に「17」を聖書に発見させていただきました。
 
○ 創世記第7章11~12節
 
 「ノアの齢の六百歳こ二月即ち其の月の十七日に当たり、此の日に大淵の源皆潰れ、天の戸開けて」
 「雨四十日四十夜地に注げり」
 
 ノアの時代に、神が不正な人で溢れる地から、不正な人を拭い去られるために行われたことですが、これは「正義」であり、「神の御言葉の成就」であり、「神の栄光の現れ」です。ここに「主イエス・キリスト」が現れておられるということです。
 
○ 創世記第8章4節
 
 「方舟は七月に至り其の月の十七日にアララテの山に止まりぬ」
 
 これは、方舟に乗ったノアとその家族達に対する「神の救い」が成就した瞬間です。まさしく、「神の御言葉の成就」であり、「神の栄光の現れ」です。やはり、ここにも「主イエス・キリスト」が現れておられると考えます。
 
 2018年正月元旦に素晴らしい気付きをいただきました。そして、明日の朝が「スーパームーン」のようです。朋友は素晴らしい写真を撮っておられましたが、私はあまり綺麗には撮れませんでした。一応掲載します。
 
 
 
朋友の写真をお借りしました。
 
藤原道人