1867年、第15代将軍徳川慶喜は、征夷大将軍を辞し、明治政府が政権を握った、「大政奉還」である。と、我々は歴史の授業で教えられてきました。
 
 「大政」とは「国の主権」のことであり、徳川慶喜が「大政=主権」を奉還したという以上、そこまでは「主権者」であるはずです。
 
 では、真実はどうだったのでしょうか。以下のブログをお読みいただいた方は、徳川慶喜が「主権者」でないことはお分かりかと思いますが、少し見て行きたいと思います。
 
 徳川家は源氏の血筋と言われていますが、それを証明するものは何もないことがわかっています。あくまで「自称」に過ぎません。では、何故自分の先祖を偽って「源氏」としたのでしょうか。
 
 徳川家の始祖である徳川家康は知っていたのです。真の主権者が「源氏」であるということを。だから、徳川家康は「源氏」を偽ったのです。しかし、家康は「源氏」を偽るしかありませんでした。何故なら、「万世一系の天皇家」が源氏の嫡流を仮装し、徳之島で連綿と続いておられたからです。
 
 従って、源氏を自称することしかできなかった家康は、「空」の実権しか持ち得ませんでした。
 
 「主権」とは簡単に担えるものではありません。日本は「神キリスト」が建国された国ゆえに、日本の「主権」は「神キリスト」が授けられます。そして、それは「父なる神=天地創造の神=万軍の主イスラエルの神」が永遠を約束された「ダビデ王家」であり、「主イエス・キリスト」によって更新された「万世一系の天皇家」にのみ授けられるのです。
 
 従って、家康の時点で「空」だった「大政=主権」を徳川家は引き継いで行ったことになります。
 
 というわけで、慶喜が持っていると思った「大政=主権」は「空」でした。つまり、慶喜は奉還できる「大政=主権」を持っていなかったことになります。
 
 であれば、奉還された側である明治政府側も「大政=主権」を持っていないことになります。さらに、「仮装=象徴天皇」である間のみ有効であった、象徴天皇家も明治政府は滅亡させました。従って、明治以降は主権がないばかりか、天皇位にいることに何の根拠もないものが居座っているのです。
 
 今の日本には、主権者がいないことがお分かりいただけると思います。「主権者」がいない状態がいつまでも続くことは考えられません。そのような国は滅亡を迎えるしか考えられないからです。一刻も早く「万世一系の草薙天皇ダビデ」に皇位に戻っていただく必要があります。いかがでしょうか。皆さんも是非ご検証ください。
 
藤原道人